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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

グルジェフの「注目すべき人々との出会い」そのままに生きた青年が逝った。

この世界の先駆者として多くの若者を引っ張ってきた男と、最も若くてこれからを嘱望された若者が相次いで
はるか遠くへを旅立った。

あまり多くを語ることは出来ないが、彼らの残したものは大きく深い。

亡くなる2週間ほど合った時の言葉が耳から離れない。
スーフィーとは何か、これまでに聞いたり、読んだりした事の中で最も解りやすく本質を突いていた。

半分ほどの年の若者から、こんな言葉を聞くとは・・・。
もう一度ゆっくり話をしたいと思いながら、それは叶わぬこととなった。

でも彼は素晴らしいブログを残していた。

『白山駅のブログ』

それはある時は軽やかに、ある時はどろどろと重く彼そのそものとして響いてくる。

〜〜

『過酷な運命が私を裏切ったのではない

美しい真実を私が裏切ったのだ

私は自分自身と自分の運命を信じる

そしてそのことがまさに自分自身を形作っていく』

〜〜

イスラムの神秘詩人やスーフェ音楽の詩が映像と共に散りばめられている。

2007年12月から2011年7月まで
そこには矢のように生きた彼の『注目すべき出会い』が残されている。
# by caffetribe | 2011-08-01 00:02 | 出会いの旅
この本は憧れの一冊です。
時々海外の書籍サイトで価格チェックしていたのですが、300ドルとか500ドルとか、中古の状態が悪いものでも最低200ドルはしていて、購入をあきらめていました。
1970年代にイギリスで行われた同名「Rugs of wandering baluchi」の展示会の図録的な内容ですが、この展示会から欧米人のバルーチ熱に火がついたといえる先駆けとなる一冊でした。
出版したDavid Black 氏はまさしくカリスマトライバルラグディーラーで、当時はほとんど無名だった部族や貴重なキリム、スザニなどを集中して集め世に知らしめるという先駆者でした。
David Black氏をはじめて知ったのは、ロンドンに本拠のある「HALI」という雑誌ですが、「HALI」が創刊されるきっかけとなるオリエンタルラグへの熱狂的マニアが当時のロンドンには多く、その中でも圧倒的な存在感を放っていたのがDavid Blackでした。
不思議の国のバルーチ「Rugs of wandering baluchi」_a0051903_235226.jpg

当時の欧米ではバルーチラグは、かなりマニア好みの部族絨毯だったと思います。当時最も評価の高かったコーカサス系やシャーセバン、カシュカイなどのメリハリのある色彩やデザインと比べて、地味で重苦しい印象を受けるからです。そこをあえてバルーチだけに絞り込み、展示したところがDavid Blackの彼たる由縁です。

実はこの本ある日本人コレクターさんから借りているのです。その方かなりのコレクター&ラグラバーで再きっは素晴らしいブログをはじめられました。次から次へと興味深いコレクションが登場していますのでキリム&トライバルラグファンは必見です。また切り口も画期的、思い入れのある内容に、毎回が楽しみです。
同時に洋書を読みこなし、日本では入手ほとんどない部族絨毯に関する情報も高いレベルです。
不思議の国のバルーチ「Rugs of wandering baluchi」_a0051903_23152219.jpg

「Rugs of wandering baluchi」からの引用


その後あいつで出版された、アメリカ人のbauchar collection やドイツ人のコレクションの本に比べると絨毯の内容的には程ほどですが、なかにはワイルドなDavid Blackらしいものも登場します。
今はロンドン郊外に引越してしまいましたが、知り合いに熱狂的なバルーチマニアのイギリス人がいて彼も若い頃にこのDavid Blackの「Rugs of wandering baluchi」から大きな影響を受けたと話していました。
一時は香港にいたイギリス人ディーラーの R.D.Parsons氏(The carpets of Afghanistanの著者)からトライバルラグを預かって販売もしていました。話がそれましたが、この展示会とこの本は当時のロンドン~イギリスでは大きな影響があったと思われ、同時にとても羨ましく思います。
この本の中で最も好きな絨毯2点を紹介します。
不思議の国のバルーチ「Rugs of wandering baluchi」_a0051903_23263244.jpg
メインラグ・ホラサーンイラン
不思議の国のバルーチ「Rugs of wandering baluchi」_a0051903_23273745.jpg
バーリシトバック・ホラサーンイラン

日本でもこのところ着実に広がりつつあるトライバルラグ(部族絨毯)やキリムの愛好家達。
そしてブログなどでも本当に好き~!という思いが伝わる記事も増えています。
欧米で始まったトライバルラグブームもたかだか40年前です。日本でもそのうねりを起こしてゆきたいと願っています。

この本をお借りしているTさんのブログ「My Favorite Rugs and Kilims」是非ご覧下さい。http://rug-lover.jugem.jp/
# by caffetribe | 2010-11-25 23:34 | おすすめの本
染織と生活  (textile in living)
季刊no.8 1975年冬・春 号
ペルシア・カーペット小史(3)

西方染織雑記から 吉田光邦著

『染織と生活』とは染織好き及び関係者にとって、あまりにも有名な『染織α』の昔の名前であり、その名の通り染織と生活社から出版された初代の染織系専門季刊誌である。
海外染織品*の特集も多く、『染織と生活』に掲載された30年以上も前の絨毯に関しての貴重なテキストである。

著者の吉田光邦氏は、当時京大の人文学研究所の助教授であり、西アジア地域の染織品や工芸品についての第一人者として様々な著作を残している。次に紹介する『絨毯とタピスリー』のなかでもペルシア絨毯のパートを担当している事からも、この当時絨毯研究特にペルシア絨毯おいの専門家であったことが窺い知れる。
この号に関しては、素材、(絹・木綿・羊毛)技法(トルコ結びとペルシア結び)そして、染料(アニリン染料とクロム染料)について現地取材など共にコンパクトにまとめられている。
おそらく当時1970年代は最も化学染料が普及していた時代であろう。
*『堺緞通』の著者として知られる角山幸洋氏が同誌8号のなかで『パナマの染織工芸』として最近話題のモラにつて興味深い解説されている。
著者も今日では各カーペット産地で殆ど化学染料が使用されると述べている。またペルシア絨毯に化学染料が使用させるようになったのは19世紀で、当時は便利なため盛んに使用されたが、次第に欠点が明らかになり、ナシル・エディン皇帝時代には輸入を禁止する動きがあり、その後継者のムザハルシャーは1900年以来繰り返し禁令を発し、ついにはアニリン染料の破棄、および使用したカー
ペットの没収処置を命ずるに至ったとある。しかしその50年後には禁令は廃止され、没収の代りにアニリン染料使用のカーペットは3%の輸出税を課すことになった。しかしその効果は少なく、その後輸出税は9%にさらに12%まで及んだということである。
それでも圧倒的に安価なアニリン染料の輸入は止まらず、バザール商人にとってこの便利さは大きな魅力であったようだ・・・。特に当時から染料として、高価であった『赤』は特に重宝されたようである。その後はより堅牢で退色しにくいクロム系の染料に代っていくが、このクロム系染料で染められた糸はいかにも鮮やかで、時には金属的な輝きにも似た印象すら与えると述べている。
絨毯関連の本_a0051903_22282169.jpg

そして天然の染料とはあまりもかけ離れた色調を持つ現代生産のカーペットはデザインこそ同じでも全体的な感覚は著しく異なったものになろうとしているという苦言を呈している。
皮肉にも、あまりに行き過ぎた化学染料時代の反省からなのか、草木染に戻りつつあるのが現在の手織り絨毯生産状況である。
# by caffetribe | 2010-09-28 22:29 | おすすめの本
  趣味の価値 脇村義太郎著
~ペルシャ絨毯の美~
趣味と価値 脇村儀太郎_a0051903_21225613.jpg

岩波新書 B46 
1967年初版とあるので、40年も前の書であるが現在読んでもまったく古さを感じない内容である。石油関係の貿易に精通していた脇村義太郎氏は、世界的な視野を持つ経済学者であったであろう事が、この本を通して伝わってくる。ペルシャ絨毯について書かれた『ペルシャ絨毯の美』―アルメニア商人・マンチェスター商人・ロンドン商人―という20ページほどの文章の中には当時のイランの中でもコーカサス・ロシアとトルコに近いタブリッツのバザールを中心とした絨毯のロジスティクスをアルメニア・マンチェスター・ロンドン商人達の活躍を縦軸に絨毯の文様染料、素材などがいかに当時の絨毯生産との関わりを持っていたのかを横軸に、解り易く書かれている。
例えば『19世紀の現代絨毯工業の誕生にあたっては、外国染料とくにドイツ染料の浸入が多きな要素となっていた。積極的なドイツ商人達はこの機会を捕らえて盛んな売りこみを行った。
不幸にして最初のドイツ染料は品質がすぐれていなかった。不評を買ったり,失敗したケースがあった。(中略)ケルマンでも最初「えんじ虫」の赤の変りにドイツ染料を使用したが失敗し、それ以後ケルマンでは動植物染料を主体として、今日のケルマン絨毯の優秀さをささえる原因となっている。』
またデザインにおいてもケルマンにはすぐれた2人のデザイナー「モーヤン・カーン」とアーネット・カーンを生み出し彼らの子供や孫ハッサン、カッシェンなど60年に亘ってすぐれたデザインを生み出してきたことがケルマン絨毯の欧米での人気の高い事を上げている。
現代の日本市場でコムシルクに次いで輸入量の大きいナインについても『人口6000ばかり小さな古い町である。ペルシャ人の伝統的な毛織服を作っていたが、第一次大戦後ヨーロッパ風の衣服が普及し始めた時この地域の産業は行き詰まってしまった。ペルシャ人は事業に失敗する時、絨毯を思う。
(中略)そこでナインの人々は高級服地用糸を取り扱う事に慣れていたので,熟練工は1平方インチに22X22という細かいパイルの絨毯を織る事に成功したのである。第2時大戦中はテヘランの成金達が多いにこれを買った。この様な具体的な絨毯産業の展開例は他にもあり、絨毯だけでなく、織物、製陶などの伝技術の誉れ高いカシャーンにおいて、マンチェスター産の、柔らかい羊毛を使用した新しいタイプの絨毯製作プロジェクトの紹介など、この当時の世界経済とリンクしたダイナミックなペルシャ絨毯産業の成功と失敗の例を挙げている。
テキストの終盤では、石油などの産業で財をなした、美術品収集家がどのようにして、現在の最高峰の絨
(アルデビル絨毯など)を入手したのか具体的に価格なども含めて紹介されれている。
この本を初めて見たときにこのあたりの欧米、特に当時の英国の美術品コレクター人間模様や裏の駆け引きなど、大変に興味深いかった事を記憶している。
絨毯好きの人にももちろんだが、ビジネスとして絨毯を扱う人なら、現在の欧米の美術館に鎮座しているかの有名な絨毯達が,当時いかほどの価格で取引されたのかを知るはかなり面白いはずである。
# by caffetribe | 2010-09-27 21:23 | おすすめの本
Bread&Salt 2._a0051903_14333216.jpg前回からだいぶ間が空いてしまったが、続きです。「Bread&Salt」の内容は、ほぼ塩入れ袋とソフレの紹介だが、圧倒的に塩入れ袋のコレクションが素晴らしい。全部がカラーでないのが本当に残念ではあるが、一点一点の内容が充実しているし、イラン~アフガニスタンにかけての遊牧民をほぼ網羅している。不思議なのはトルコの遊牧民があまり塩入れ袋を織らないことだ。過去には織っていたがここ100年ほど織ることがなくなったので、マーケットに出てこないのか?そのあたりは謎であるが、それに比べてイラン系遊牧民の塩袋のバラエティーは見事である。この本表紙にもなっている
シャーセバン族のスマック織りの塩入れはとても見事。その他に、アフシャール族、バルーチ族、ブーラフィー族、東西クルド族、バフティヤリー族、カシュガーイ族などなどどれも部族の特徴・個性がばっちり表現された
塩袋のオンパレード。そういえば、遊牧民絨毯文化の頂点に君臨するトルクメン族の塩入れはどこ?^^。スプーン入れから自転車のサドルカバーまで、絨毯で織ってしまうトルクメン族はどうして塩入れを織らないのだろう。それとトルコの遊牧民に塩入れがない事に関係性はあるのだろうか?これはまだまだ、この本の解説を続ける必要がありそうだ・・・。
# by caffetribe | 2010-08-16 14:47 | おすすめの本

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