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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

趣味と価値 脇村儀太郎

  趣味の価値 脇村義太郎著
~ペルシャ絨毯の美~
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岩波新書 B46 
1967年初版とあるので、40年も前の書であるが現在読んでもまったく古さを感じない内容である。石油関係の貿易に精通していた脇村義太郎氏は、世界的な視野を持つ経済学者であったであろう事が、この本を通して伝わってくる。ペルシャ絨毯について書かれた『ペルシャ絨毯の美』―アルメニア商人・マンチェスター商人・ロンドン商人―という20ページほどの文章の中には当時のイランの中でもコーカサス・ロシアとトルコに近いタブリッツのバザールを中心とした絨毯のロジスティクスをアルメニア・マンチェスター・ロンドン商人達の活躍を縦軸に絨毯の文様染料、素材などがいかに当時の絨毯生産との関わりを持っていたのかを横軸に、解り易く書かれている。
例えば『19世紀の現代絨毯工業の誕生にあたっては、外国染料とくにドイツ染料の浸入が多きな要素となっていた。積極的なドイツ商人達はこの機会を捕らえて盛んな売りこみを行った。
不幸にして最初のドイツ染料は品質がすぐれていなかった。不評を買ったり,失敗したケースがあった。(中略)ケルマンでも最初「えんじ虫」の赤の変りにドイツ染料を使用したが失敗し、それ以後ケルマンでは動植物染料を主体として、今日のケルマン絨毯の優秀さをささえる原因となっている。』
またデザインにおいてもケルマンにはすぐれた2人のデザイナー「モーヤン・カーン」とアーネット・カーンを生み出し彼らの子供や孫ハッサン、カッシェンなど60年に亘ってすぐれたデザインを生み出してきたことがケルマン絨毯の欧米での人気の高い事を上げている。
現代の日本市場でコムシルクに次いで輸入量の大きいナインについても『人口6000ばかり小さな古い町である。ペルシャ人の伝統的な毛織服を作っていたが、第一次大戦後ヨーロッパ風の衣服が普及し始めた時この地域の産業は行き詰まってしまった。ペルシャ人は事業に失敗する時、絨毯を思う。
(中略)そこでナインの人々は高級服地用糸を取り扱う事に慣れていたので,熟練工は1平方インチに22X22という細かいパイルの絨毯を織る事に成功したのである。第2時大戦中はテヘランの成金達が多いにこれを買った。この様な具体的な絨毯産業の展開例は他にもあり、絨毯だけでなく、織物、製陶などの伝技術の誉れ高いカシャーンにおいて、マンチェスター産の、柔らかい羊毛を使用した新しいタイプの絨毯製作プロジェクトの紹介など、この当時の世界経済とリンクしたダイナミックなペルシャ絨毯産業の成功と失敗の例を挙げている。
テキストの終盤では、石油などの産業で財をなした、美術品収集家がどのようにして、現在の最高峰の絨
(アルデビル絨毯など)を入手したのか具体的に価格なども含めて紹介されれている。
この本を初めて見たときにこのあたりの欧米、特に当時の英国の美術品コレクター人間模様や裏の駆け引きなど、大変に興味深いかった事を記憶している。
絨毯好きの人にももちろんだが、ビジネスとして絨毯を扱う人なら、現在の欧米の美術館に鎮座しているかの有名な絨毯達が,当時いかほどの価格で取引されたのかを知るはかなり面白いはずである。
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by caffetribe | 2010-09-27 21:23 | おすすめの本