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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

『赤穂の手織り絨毯』

赤穂浪士や塩で有名な播州赤穂には、あまり知られてはいませんが、手織りの絨毯産地として
の歴史と伝統があり、現在でもその伝統の技を受け継いでいこうという、意思と動きがあるのです。
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□時は江戸期、嘉永2年(1849年)赤穂郡中村(現中広)に生まれた児島なかという女性によって木綿糸を利用して幅15センチ長さ9センチという小さな絨毯の製作が行われた。

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□幕末から文明開化へと時代は大きな転換期を迎えたが、児島なか女史は夫と共に四国・九州中国地方を歴遊し意匠・配色などを研究し、明治3年(1870年)には高機を使用して、座布団ほどの立派な絨毯を織り上げる。

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□明治7年(1874年)にはついに現在とほぼ同じ大きさである、畳一畳ほどの大型の織り機(水平機)を完成させる。これは構想から25年の歳月を経ている。その後京都を中心とした商業地域への販売体制の基礎をつくり、赤穂緞通としての絨毯製作が始まるのである。

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京都の祇園祭りなどでも時折見られる、町屋の室内の絵屏風の前に凛として敷かれている一畳敷きの絨毯の多くは、赤穂産の緞通である。

もちろん北九州の鍋島藩にも、それより古くから手織り絨毯はあったのだが、一人の女性の熱意で完成された赤穂緞通の面白さをしばらく紹介させて生きたく思います。
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by caffetribe | 2006-06-28 17:53