アーリア人の好むボテ文様(boteh-4)
もちろんカシミールショウルがその代表的な作品であるだろうが、その背景にアクバル帝のムガールがあり、ペルシアのカジャールなどでも盛んにこのモチーフが取り入れられてきた。
世界のテキスタイル文化のなかにに、インド更紗、カシミールショウル、ペルシア絨毯は外せないモノと思えるがその3つに共通して表現されるのもこのボテ文様である。
それではその歴史的はいつ頃からなのだろう。
布や絨毯は残念ながら500年を越えるものはほとんど残らない。(アンデスやパジリクなど奇跡的な好条件や盗掘と言う災難にあわなければその例外は多少あるものの・・・。)
アフガニスタン北部バルフ地方の、The Nau-i-Gombadの柱に見られる彫物。
9世紀のイスラム教初期に建てられたという、聖者を祭った云われるこのモスクに刻まれたまにボテの造形。
毛織物や絨毯では、断片などを除いて17世紀以降のものしか見ることはできないようだが、それ以降のインド=ペルシア両世界には、様々なバリエーションに変化しながら多くのボテ文様の華が開いたといえそうだ。
インドーミール絨毯。インド絨毯の最高級品とされるミールカーペットはUtter Pradeshにおいて成功し世界にその名をとどろかせる。この絨毯はよく見ると細かいボテの連続と中央のメダオリオンと四方のコーナーの構成によるが、この小さなボテだけ見れば、インド更紗のフィールドを見ているようである。それにペルシア絨毯の典型的な構成がうまくミックスされている。
■この絨毯、及び上の写真はP.R.J.Ford著の『The Oriental Carpet』からの引用です。この本は絨毯マニアのM氏もご推薦の絨毯研究書であるが、文様ごとに絨毯を分類してあり、そのトップとして普遍的デザインとして『The Boteh』が多くの絨毯と共に紹介されている。
ちなみに上のThe Indo-MirCarepet はこの本の表紙でもある。
これも大変に洗練されたタブリーズ産の全体がボテ文様の絨毯。
これを収集したイギリス在住のイラン人Essie Sakhai 氏によればと当時ヨーロッパで大流行していたカシミールショウルにあやかって、輸出用に織られたのではないかとしている。
この辺りもう少し掘り下げてみたいと思っています。