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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

カテゴリ:ボテ文様(ペイズリー)の系譜( 4 )

a0051903_17145458.gifこの美しく完成されたボテ文様はインド~アフガニスタン~イランのいわゆるアジアに住み着いたアーリア系人種の間で生まれ次第次第に洗練の度合いを深めて行ったように思える。
もちろんカシミールショウルがその代表的な作品であるだろうが、その背景にアクバル帝のムガールがあり、ペルシアのカジャールなどでも盛んにこのモチーフが取り入れられてきた。
世界のテキスタイル文化のなかにに、インド更紗、カシミールショウル、ペルシア絨毯は外せないモノと思えるがその3つに共通して表現されるのもこのボテ文様である。

それではその歴史的はいつ頃からなのだろう。
布や絨毯は残念ながら500年を越えるものはほとんど残らない。(アンデスやパジリクなど奇跡的な好条件や盗掘と言う災難にあわなければその例外は多少あるものの・・・。)

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起源前4世紀頃のサカ族の王の墓から出土した皮製の水筒に表現されたモチーフ。パジリク古墳(シベリア)
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アフガニスタン北部バルフ地方の、The Nau-i-Gombadの柱に見られる彫物。
9世紀のイスラム教初期に建てられたという、聖者を祭った云われるこのモスクに刻まれたまにボテの造形。

毛織物や絨毯では、断片などを除いて17世紀以降のものしか見ることはできないようだが、それ以降のインド=ペルシア両世界には、様々なバリエーションに変化しながら多くのボテ文様の華が開いたといえそうだ。
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インドーミール絨毯。インド絨毯の最高級品とされるミールカーペットはUtter Pradeshにおいて成功し世界にその名をとどろかせる。この絨毯はよく見ると細かいボテの連続と中央のメダオリオンと四方のコーナーの構成によるが、この小さなボテだけ見れば、インド更紗のフィールドを見ているようである。それにペルシア絨毯の典型的な構成がうまくミックスされている。
■この絨毯、及び上の写真はP.R.J.Ford著の『The Oriental Carpet』からの引用です。この本は絨毯マニアのM氏もご推薦の絨毯研究書であるが、文様ごとに絨毯を分類してあり、そのトップとして普遍的デザインとして『The Boteh』が多くの絨毯と共に紹介されている。
ちなみに上のThe Indo-MirCarepet はこの本の表紙でもある。

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これも大変に洗練されたタブリーズ産の全体がボテ文様の絨毯。
これを収集したイギリス在住のイラン人Essie Sakhai 氏によればと当時ヨーロッパで大流行していたカシミールショウルにあやかって、輸出用に織られたのではないかとしている。

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シルバン絨毯コーカサス南部。この地域にもMarasaliとして知られる祈祷用の絨毯や敷物にこのような周りがギザギザの松ぼっくりのようなモチーフのボテ文様が登場する。このようにインド~中央アジア~アフガニスタン~イラン~コーカサスなど非常に広い地域で見られるボテ文様であるが、トルコ系やモンゴル系よりもアーリア系の人達に特に好まれて来たように思える。

この辺りもう少し掘り下げてみたいと思っています。
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by caffetribe | 2006-09-03 18:19 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜
以前に紹介した、ボテ文様~ぺーズリー文様へでは、おもにムガールを中心としたカシミールショウルに注目したが、オリエント地域の絨毯の文様にもこのボテ文様は多く、西アジアから西南アジアにの人々に大変に愛された文様ではないかと推測できる。

前回の「capet magic」で分類されていたように、絨毯には部族的なコミュニティで織られたものと工房でデザイナーと織り手という分業的職人体制で織られるものがある。
一般的には都市工房的、アラベスクな華麗なデザインと部族的、幾何学なシンプルで力強いデザインとに区別できるのだが、このボテ文様は両者に共通して表現され、その両方ともがバランス良く見事に美しい。

最初は部族的絨毯の中に見られるボテ文様を紹介してみる。
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アフシャール族 ホースカバー(馬の背あて) スマック織り
カシミールのショウルなどと比べると、幾何学的でぼてっとしていて少し野暮ったい感じもするがよく見ると一つ一つがまぎれもなくボテ文様になっている。一番上の一列の小ぶりなものが特にペーズリーらしさを出している。

■アフシャール族はイラン南部のトルコ語系の遊牧民であるが、メリハリのはっきりした力強い部族らしい絨毯やスマック、ソフレ(ナン用)を織る事で知られている。織り技術も大変にしっかりしたもので、彼ら遊牧地に近いシルジャン産のスマック織りの敷物は現在イランの輸出用マーケットでも評価が高く,絨毯と共に世界中への輸出品として年々価値が高まっている。
もちろん販売用でない遊牧生活のためのオリジナルの、ラグやバックの表皮などは、もともと数が少ない事から貴重なコレクターズアイテムになっている。

a0051903_19733100.jpgこれは以前に紹介したアラブ系で5つの部族の連合体として知られるハムサのラグ(パイル)である。
南イランを代表する遊牧民のカシュガイ族にも同じような大きなお母さんボテの中に、小さな赤ちゃんボテが包み込まれたような、重なるボテデザインの絨毯が見られるが、この2重のボテ文様が遊牧民の好みのようだ。これも19世紀のカシミヤショウルに表現されている文様がベースになっているようだ。
カシミールとイラン南部は繋がりが無いようだが、イラン南部のケルマン地方にはボテ文様だらけのテルメと呼ばれる繊細な毛織物が存在する。ボテ文様で繋がる布があることで、この地域にボテ文様が多くつたわったのだろうか?
一説によるとイラン南部は赤の染料となる茜の生産地で、人気の高かった赤いショウルを織るための染料がケルマン地方からもたらされ、見返りにボテ文様のショウルが伝わったとも言われている。比べると、文様の配置、一つ一つのボテ文様の大きさなどが部族的大らかさというか、いい加減さが洗練の極みと見えるカシミールショウルやなどとは対称的である。

イラン南部 ハムサ連合 絨毯(パイル)

この他にもセネという古い名称で親しまれている、イラン北部のクルド族の多い町サナンダジの見事な綴れ織で織られたキリムにもこのボテ文様は登場する。

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セネ(クルディスタン) 綴れ織り(キリム)

向き合ったツインのボテ文様が愛らしく、ボーダーの明るい格子のようなモチーフが中央を引き立たせている。やはりペルシアの色彩感覚はとてつもなく洗練されている。
ある人が、シュタイナー曰く「ぺルシア文明が、人類に革命的な色彩革命をもたらした」といっていたが、このような表現を見ているとそれが、大変納得できる。

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ベシール トルクメンエルサリ系 絨毯(パイル)

また、これは大変珍しいトルクメン系部族のボテ文様である。
もちろん都会的感覚をもつベシール系で、中央アジアのブハラ周辺のものではないかと思われるが、トルクメンのギュル文様にも影響を及ぼすほどの、ボテ文様はある意味、呪力的パワーを持つ文様ではないかと想像してしまった。

確か中沢新一氏が最新の数学者の研究から出てきたフラクタクル曲線とこの曲線との比較をしていたような記憶が・・・。
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by caffetribe | 2006-09-01 20:03 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜
絨毯の世界でもそうなのだが、ムガール朝のアクバル帝時代(1556-1605)はあらゆる手仕事の、ある意味で頂点を極めた時代なのかもしれない。
一つ一つの文様の完成度においてそのような気がしてならない。
その背景にはインダスから続いてきたと思われる、頑な専門職人体制と、中央アジアやペルシアという近隣の高度な文化を柔軟にうまく取り込んできた繊細で自然主義的な植物表現が、イスラムという偶像崇拝が禁じられたという否定的な要素はあるにせよ、人間と植物とが一体となったような、一本の草花がある意味で完全な姿として表現されているように思う。

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カシミヤショールの部分 18世紀中葉 松涛美術館図録より

アクバル帝がこのショールの熱烈なる愛好者で、彼の衣装部屋は最高級のカシミヤ山羊のパシュミナだけを使用したショールでいっぱいであったようだ。
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ショール、カシミール19世紀 前半 松涛美術館図録より

このボテ文様は17世紀までの比較的シンプルでほっそりとしていて、根元まで描かれた文様から、次第に絢爛豪華な様式美のペースリー文様の世界へと変化していく事になるのだが、その変遷の間に様々なバリエーションがあり、世界の貿易史と重ね合わせてみるとまた大変に興味深い。
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カシミールショール、19世紀前半 松涛美術館図録より
このころからヨーロッパへの輸出も始まったようで、文様の一部にはかなり写実的なバラの花のような部分も見られてくる。全体の雰囲気はまだまだインド的テイストを残してはいるが・・。
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更紗 マスリパタム 19世紀 東京博物館所蔵
これはお隣のイラン向けに作られた思われる更紗だが、鹿を襲うライオン、パルメット〈ペルシア絨毯似よく使われる花)、ボテなど多くがイラン人好みのモチーフになっている。

このように近くはペルシア、そして中央アジア、ヨーロッパへと広がっていくボテ~ペイズリー文様は、デザインの変遷だけを見ていっても相当に楽しめそうである。
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by caffetribe | 2006-08-09 21:09 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜
知人のブログを見ていたら、共通の文様が出ている事に気づいた。
ブログの面白さは、同時多発的に共通なことがアップされることがけっこうあって、それについて何かをコメント、投稿したり出来る事もそのひとつかな、と思う。
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インドネシア スマトラ島の絞り(プランギ) シルク

■欧米では、ペーズリー文様、西南アジアではボテもしくはブーダと呼ばれる文様である。ちなみに日本では勾玉文様という人もいるようだ。
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カシミール地方ショールの部分(シルクロード研究所所蔵) (松涛図録より)

■1993年~94年に渋谷の松涛美術館で行われた特別展『ペイズリー文様の展開』という展覧会は見事にこのボテ文様で飾られていた。メインはなんといってもカシミールショールの圧倒的な文様世界であり、その原産地であるインドのカシミール地方のショールの素晴らしいコレクションがすごい存在感で展示されていたと記憶している。
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ペルシア錦 フラグメント 〈松涛図録より〉最初は頭が垂れ下がっていなかったらしい。
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インド染織の女王、ムガール時代に砂漠のテント掛けとして用いられたという有名な花文様。〈松涛図録より〉
■ペイズリー文様が表現されるカシミールショールはカシミール地方の最高の技術と、素材(カシミア)と歴史的背景(ムガール朝)などの様々な要素とインドならではの職人世界が生んだ織物の最高傑作ののひとつであろう。ムガールについてはこちらのブログへ。
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カシミールショールの部分、カシミール地方〈松涛図録より〉
見事にバランスのとれた美しい造形である。
■知る人は知っている事実だが、産業革命はこのカシミールショールが原因で興ったという人もいるぐらいだ。
現在、我々の都市生活に欠かせない多くの機械製品。これらは、ヨーロッパで興った産業革命に端を発しその後の目覚しい進歩?によって現在に至っているといえるだろう。
この背景にヨーロッパ、特にフランスで起きたカシミールショールの爆発的な大ブレイクがあった事、そしてその織物技術の機械化(ジャガード織り機)がフランスのリヨン、イギリス、スコットランド地方のペーズリーで発展し、そえまで手仕事(職人的)で行われていた数々の技術が大量生産可能な機械化へと大きく転換していったようである。
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by caffetribe | 2006-08-08 20:05 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜