今時思いだすのは、そう、すこしずつ記憶から遠ざかりつつある2001年9.11同時多発テロ事件である。
おそらく何年前のブログにも書いたと思うが、やはり21世紀はこの事件から始まり未だにそれは世界各地の状況を変え、アフガニスタンでもイラクでも、そしてアメリカでも多くの人々の人生をより複雑なものにした。
出来そうもない事かもしれないが、9月11日は世界中で現在も続いている紛争をストップしそれが何ゆえに起きているのかを考える日になったらと願う。
8年前のその日パキスタン西南部のバローチスタンに滞在していた。
カラートへ向う峠の道W大学のM先生(バローチ研究家)と共に暫く滞在していた、パキスタンの都市クエッタからさらにバローチスタンの奥地を目指すべく、ピックアップトラックをチャーターしてバローチスタンの古都カラート(砦)から年老いた楽師を探すべく秘境?ニチャラー村を目指していた。
パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町この町に着いたのが2001年9月12日まさにNYがパニックになったその後であった。
町は至って平穏であり3年ほど続いた厳しい旱魃の影響なのか、乾いた砂埃が風に舞う景色が印象的だった。ここではラクダ市などを眺めたり、これから入るニチャーラー村に必要な荷物の買出しや乏しい村への情報収集を行った。
パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町この町に多く暮らしているのは、バローチ(イランでは
バルーチ)族系の人々でその中には
ブーラフィー族といわれる人々がいる。特にこのカラートから南部はブーラフィー系の人々が多く暮らしているようだ。
また、ブーラフィー系の人々はあまり商業活動を好しとしない風潮があるようで、商店などはパシュトゥーン系の人々に委ねているようだ。
私にはブーラフィー族と
バローチ族とは外見的には、ほとんど見分けがつかない。研究者M先生にはその違いがわかるらしい。
まず言葉が違うらしい、バローチ族はペルシア語系でイラン~イラクにも多いクルド人の使うクルド語にも近いそうだ。それに対してブーラフィー族はなんとインド南部が原郷とも言われるドラヴィダ語系らしい。
M先生はこの文法的にも困難極まりない、ブーラフィー語をクエッタのバローチスタン大学でマスターされたらしい。そしてこのイトオシキしき「サベージ=野蛮人」ブーラフィー族をこよなく愛しておられるようだ。
其の旅でもそれは様々な形で体験することが出来た。

これはM先生がなんとオークションで入手された絵葉書。M先生より

そしてこれが誇り高きブーラフィー族の戦士である。M先生より
同時にブラフィー族は美しい
キリムを多く織る。彼らの言葉(ブーラフィー語)でキリム(敷物)をコーントと呼ぶ
ようだが、これは彼らが得意とする芸能活動において詠われる詩の中にも登場するようだ。
≪コーントを広げればそこは花園・・・・。≫遊牧民にとってそれは共通の楽園的イメージなのだろう。
朝もやの中で演奏してくれたブラフィー族の楽師 弾くのはサローズ。現在も混迷の続くパキスタン南部~アフガニスタン美しい詩や音楽を愛する人々に一刻も早い平和が訪れることを願う。