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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

カテゴリ:出会いの旅( 11 )

グルジェフの「注目すべき人々との出会い」そのままに生きた青年が逝った。

この世界の先駆者として多くの若者を引っ張ってきた男と、最も若くてこれからを嘱望された若者が相次いで
はるか遠くへを旅立った。

あまり多くを語ることは出来ないが、彼らの残したものは大きく深い。

亡くなる2週間ほど合った時の言葉が耳から離れない。
スーフィーとは何か、これまでに聞いたり、読んだりした事の中で最も解りやすく本質を突いていた。

半分ほどの年の若者から、こんな言葉を聞くとは・・・。
もう一度ゆっくり話をしたいと思いながら、それは叶わぬこととなった。

でも彼は素晴らしいブログを残していた。

『白山駅のブログ』

それはある時は軽やかに、ある時はどろどろと重く彼そのそものとして響いてくる。

〜〜

『過酷な運命が私を裏切ったのではない

美しい真実を私が裏切ったのだ

私は自分自身と自分の運命を信じる

そしてそのことがまさに自分自身を形作っていく』

〜〜

イスラムの神秘詩人やスーフェ音楽の詩が映像と共に散りばめられている。

2007年12月から2011年7月まで
そこには矢のように生きた彼の『注目すべき出会い』が残されている。
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by caffetribe | 2011-08-01 00:02 | 出会いの旅
そもそも「赤い絨毯」と出あったのは20年前の旅でした。
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             ≪1988年 イスファハン イマーム広場 バザール入り口≫
1988年の3月イランVSイラク戦争の最中イスファハンに滞在していました。
戦火は激しくなり、テヘランにはイラク軍のほこるスカッドミサイルが被弾してシーアモスクの多いイスファハンに疎開していたときの事でした。
世界の半分と詩われた古都イスファハンを訪れる人も無く、ひっそりと人影もまばらでした。
することも無く川に向かうすずかけの並木道を歩いて来たときのことです。前から歩いてきた若者が「サラマレコム」と言って手に持っていた人参を差し出してくれたのです。
そのとき私は躊躇せずにその人参を受け取り口に運びました。戦火に中で精神的にまいっていた私にとって、その人参はとても甘く、乾いた喉と気持ちが潤うのを感じました。
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                      ≪テケ ギュル Tekk Turukemen≫

イスファハンの絨毯商はイランでも有名な商売上手と評判でしたので、注意していたのですがその若者には
なぜか心が癒されるのを感じたのです。そのわけは彼の顔が私と同じ日本人のようであったからかもしれません。「こんなところでこんな時に何をしているんだい?」と度々聞かれることもあったのですが、彼は何も言わずに、もう一本人参を差し出しました。「ホシュマゼル」と答えると「何処から来たの?」と英語で話しかけてきました。最初は日本人と思った彼は、後で知ったのですがトルクメン人の青年でした。
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                     ≪ヨムート ギュル Yomut Turkmen≫

時間はたっぷりあったので、二人で川のたもとにあるチャイハネへ行くことになりました。私達はザーヤンデ川の水の流れを見ながら、互いに片言の英語とペルシア語で話をしました。チャイを何杯も飲み、水タバコをふかしてすっかり仲良くなりました。彼はモタギーと名乗り、イラン東北地方にあるゴンバディカブースと言うトルクメン族が多く住む町から、イスファハンにある美術学校にペルシア書道を習うために滞在していたのです。
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                  ≪ヨムート ケプサギュル Yomut Kepuse Turkmen≫

翌日は彼の案内で「アリ・カプ」王の宮殿の直ぐ裏手にあった、美術学校を案内してもらいました。数百年前に建てられたモスクや宮殿に囲まれた小さな美術学校には、イラン各地から集まった美大生達が居て当時のイランには珍しかった外国人に対して興味深でした。中にはラジオの海賊放送を聞いて憶えたという、流暢な英語を話すシュールレアリストなども居て、多くの質問を受けました。海外の情報に餓えていた先進的な若者達と当時のイラクとの戦争や国際政治のあり方、そして将来のイランと日本の関係について話は尽きませんでした。
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                    ≪チョドール エルトマンギュル Chodor Turkmen≫
それから数日間毎日のようにその美術学校に通い、何人かの知り合いが出来ました。トルクメン族のモタギー氏と一番の仲良しは、アルメニア国境にも近いジョルファという町から映画関係を学びに来ていたアルメニア系の男で、映画監督で有名なマフマルバフに似た彼には様々なイラン文化を教えてもらいました。
サントゥールというピアノ線を撥で直接叩く楽器の演奏や、暗い映像と重々しい音楽が印象的な映画館などにも連れて行ってくれました。パワフルな彼らの中でモタギー氏はいつも穏やかで、彼の顔を見るとホットしました。
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                    ≪エルサリ ベシール Ersari Turkmen≫
そのときに経験したことはおそらく今の自分にとって大きな糧となっているでしょう。そしてモタギー氏との出会いでトルクメンとはどんな人達で、何処に住んでいるのかとても知りたくなりました。彼の故郷であるゴンバデ・カブースにも行ってみたいと強く思うようになってのです。しかし、戦争状況が悪化して外国人はすべて国外退去となり、その時はその思いは叶いませんでした。                             (つづく)
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by caffetribe | 2009-09-22 00:09 | 出会いの旅
今時思いだすのは、そう、すこしずつ記憶から遠ざかりつつある2001年9.11同時多発テロ事件である。
おそらく何年前のブログにも書いたと思うが、やはり21世紀はこの事件から始まり未だにそれは世界各地の状況を変え、アフガニスタンでもイラクでも、そしてアメリカでも多くの人々の人生をより複雑なものにした。
出来そうもない事かもしれないが、9月11日は世界中で現在も続いている紛争をストップしそれが何ゆえに起きているのかを考える日になったらと願う。

8年前のその日パキスタン西南部のバローチスタンに滞在していた。

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カラートへ向う峠の道

W大学のM先生(バローチ研究家)と共に暫く滞在していた、パキスタンの都市クエッタからさらにバローチスタンの奥地を目指すべく、ピックアップトラックをチャーターしてバローチスタンの古都カラート(砦)から年老いた楽師を探すべく秘境?ニチャラー村を目指していた。

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          パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町

この町に着いたのが2001年9月12日まさにNYがパニックになったその後であった。
町は至って平穏であり3年ほど続いた厳しい旱魃の影響なのか、乾いた砂埃が風に舞う景色が印象的だった。ここではラクダ市などを眺めたり、これから入るニチャーラー村に必要な荷物の買出しや乏しい村への情報収集を行った。

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          パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町

この町に多く暮らしているのは、バローチ(イランではバルーチ)族系の人々でその中にはブーラフィー族といわれる人々がいる。特にこのカラートから南部はブーラフィー系の人々が多く暮らしているようだ。
また、ブーラフィー系の人々はあまり商業活動を好しとしない風潮があるようで、商店などはパシュトゥーン系の人々に委ねているようだ。
私にはブーラフィー族とバローチ族とは外見的には、ほとんど見分けがつかない。研究者M先生にはその違いがわかるらしい。
まず言葉が違うらしい、バローチ族はペルシア語系でイラン~イラクにも多いクルド人の使うクルド語にも近いそうだ。それに対してブーラフィー族はなんとインド南部が原郷とも言われるドラヴィダ語系らしい。
M先生はこの文法的にも困難極まりない、ブーラフィー語をクエッタのバローチスタン大学でマスターされたらしい。そしてこのイトオシキしき「サベージ=野蛮人」ブーラフィー族をこよなく愛しておられるようだ。
其の旅でもそれは様々な形で体験することが出来た。

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          これはM先生がなんとオークションで入手された絵葉書。M先生より
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     そしてこれが誇り高きブーラフィー族の戦士である。M先生より

同時にブラフィー族は美しいキリムを多く織る。彼らの言葉(ブーラフィー語)でキリム(敷物)をコーントと呼ぶ
ようだが、これは彼らが得意とする芸能活動において詠われる詩の中にも登場するようだ。
≪コーントを広げればそこは花園・・・・。≫遊牧民にとってそれは共通の楽園的イメージなのだろう。
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      朝もやの中で演奏してくれたブラフィー族の楽師 弾くのはサローズ。

現在も混迷の続くパキスタン南部~アフガニスタン美しい詩や音楽を愛する人々に一刻も早い平和が訪れることを願う。
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by caffetribe | 2009-09-11 18:31 | 出会いの旅
2009年4月18日バローチ文化年最初の展示企画中に第一回目のお話会が行われました。
紹介者はもちろんW大学のM先生です。
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M先生の日ごろの努力か行いの良さか、集まって頂いた方々の多くは若々しく、個性的な方ばかりでした。
皆さん熱心に先生のお話と貴重な映像に見入っておられました。
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=「M先生所有の絵葉書から」=
この日もバローチ族の個性あふれる映像と貴重な音源が紹介され、バローチ文化年にふさわしい?バローチワールドが展開されました。お下げ髪の似合う愛らしくも、野蛮な男たちの世界です。
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今回の音源は、古いカセットテープをデジタル化した古くも未公開な演奏もありあっという間の2時間でした。
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上の楽器はバローチ族の大好きなサローズという弦楽器です。哀愁を帯びた音色です。
注目はビーズやスパンコール?色つき画鋲などでデコレーションされた楽器です。ネック部分にはキリムのような毛織物の飾りもついていました。写真に撮り忘れ今でも悔やんでいるのは、この楽器が入っていた緑色の素敵な袋です。たくさんの房飾りや刺繍などが施された装飾にあふれたグッズでした。
最近はブームが去りつつあるようですが、デコ・デコな携帯や古くはトラックなど日本でも好きな方はいる世界です。
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パキスタンでは今でも現役です。

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会場にはこんな感じのバローチ刺繍の民族衣装を着た方もこられ、皆さんの感心を集めていました。

写真は2001年9月11日~M先生とともに旅したクエッタ~カラート~ニチャラ村の風景です。
9.11以降大きな変化のあったアフガン~パキスタンですがここに暮らす彼らにも多少の変化があったのしょうか?
何も変わらずに以前と同じような生活が続いていることを願っています。
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by caffetribe | 2009-04-22 00:03 | 出会いの旅
しばらく怠けていたブログですが、出張から帰ったら少しずつ再開しようかと考えています。
あれこれと欲張らず一番好きな『部族の絨毯』に絞り込んでいけたらと思っています。
バローチ研究家のM先生とも、今年は『バローチの年』にしようということで盛り上がりました。
マシャドでもたくさんの素晴らしいバルーチの絨毯を見てきました。

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(sale-ye Baloch)2009~
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by caffetribe | 2009-02-11 05:38 | 出会いの旅
イラン~イスタンブールの仕入れと絨毯の国際会議(ICOC)から戻りました。
今回は3週間ほどで5つの都市や村を回りました。

久しぶりにトルコ航空でイスタンブールからテヘランに入りましたが、イスタンブールの洗練された空気には驚きました。日本人の団体の観光客も以前よりは減っているそうですが、年配の方を中心に空港ではなぜか目立ちます。

まずはテヘランで3日ほど滞在して、マシャドへ向かい仕入れの合間に友人サンバシオン氏の故郷の小さな村へ出かけました。
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この村はマシャドから東に100キロほど行ったところにある20件ほどしか家のない小さな小さな部落ですが、空気がとても澄んでいてハードな仕入れの中でほっとするひと時でした。
途中からは舗装されていないでこぼこの砂利道を1時間も走ったでしょうか・・・。

サンバシオン家族の妹さんが住んでいて、ここで羊を飼いながらのどかに暮らしていました。
時よりは羊飼いや、鶏などの家畜の世話の合間に、シンプルな絨毯を織っているのですが
ここでも今時の流行りか、ギャベ風のものを織っていました。
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染めていない手紡ぎの糸で、ナチュラルな風合いの素朴な絨毯です。
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今回の仕入れではあちこちのバザールやお店で、このナチュラルカラーの絨毯やキリムを多く目にしました。これも世界のマーケットの影響なのか、時代は確実にシンプル・モダンに向かったいるようです。
もともとオリジナルは赤やカラフルな色が多い絨毯やキリムなので、数年前にはあまり見られなかったことです。
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そんな世界の流行などはどうでもいいように、ただただ丹念に糸を結んでいく
小さな村の織り手達はどんなことを考えているのでしょうか?

こうして絨毯は織られ、日本を含めた世界中に渡っていくのでしょう。

こんな小さな気持ちの良い村の空気が絨毯を通して伝わっていくといいなあと感じました。
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by caffetribe | 2007-04-26 17:28 | 出会いの旅
W大学のM先生のおかげで、大歓迎を受け結婚式の祝宴やバロチスターン大学の先生の招待など連日連夜のご馳走で大満足し、地元のパシュトゥーン族の絨毯商の義理のおじさんのもつバーグ(庭園)で夜のパーティなど夢のような日々を過ごしていたクエッタの日々であった

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パシュトゥーン族の絨毯商と彼の友人達と、アメリカの日本における基地や広島・長崎などについて激しい議論を交わしていた翌日に、ニューヨークの同時多発テロのニュースを当事者に近い考えの彼らからその知らせを聞いたのは、あまりにも皮肉であった。

複雑な表情を浮かべながらも,彼らは暴力と無差別な自爆テロは好くない事であると言った。

翌日、M先生と共にバロチスターン南部へ民族と民俗音楽の調査に同行する事になった。
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この旅では、予想もつかない多くの出来事に遭遇しこれまでの旅でも最もスリリングでエキサイティングなものであったが、そのひとつは本物のオリジナルバルーチ族(ブーラーフィー系)に遭遇した事であった。
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手前右下に座っているおじいさんを偶然にもピックアップトラックの荷台に乗せた事がきっかけで、次々と表れた遊牧民の家族計20名ほどを荷台に乗り込ませ、おまけに連れていた3頭のラクダが勢い良くトラックの前を先導するという場面にでくわした。
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華やかな刺繍飾りを胸と袖口に縫いつけた民族衣装のブーラフィー族の少女。

60キロのスピードで走るラクダの後をしばらく追いかけて、二股の分かれ道で彼らとは分れたが、その後3年前に尋ねたと言うM先生の音楽調査に同行し。

見事なバローチ音楽の真髄に触れる事が出来たのだ・・・。
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    サローズタンブーラを中心にしたバローチファミリーユニット演奏は真夜中まで延々と続いた・・・。

今晩の諏訪市文化センターの演奏を皮切りにイスラム・ミュージックの旅路『ラマダンの夜』がスタートします。クルド族のナゼーリ氏の時と同様会場のじゅうたんを提供しました。
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by caffetribe | 2006-09-30 20:44 | 出会いの旅
飛行機に乗り込むと、中は比較的空いていた。
座席を探そうとボーディングパスを見ると、なにやらペルシア語で走り書きのような文字。
とても理解できそうもないのでアテンダントの方をみるとにやりと笑い目配せで、好きなところに座ればとでも言いたげだった。
周りにいる民族衣装の大男達も、どうやら勝手に座っているようだ。そうかこの飛行機は自由席なのか?イランでは、かなりローカルな国内線でも、飛行機は指定席が多い。これは国際線なのに・・・。

二人がけ席ににゆったりと座り離陸を待つと、先ほどのアフガン人が前の座席に座った。
彼はドイツ語とダリー語、こちらはほんの片言のペルシア語なので、お互いにどこまで理解しあえたのかは神のみぞ知るところだが、彼がドイツのハンブルグで洋服のビジネスを始めて結構調子が良い事、その服の生地をパキスタンで仕入れるために帰国すること。
久しぶりの家族に会えるのをとても楽しみだと言っていた。またドイツ製品はメイドインジャパンと同様大変に人気で、クエッタ~チャマン経由でアフガニスタンに持ち込むらしい。おそらく税金がかからないのだろう。
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ザへダン給油などで暫く待ってから、いよいよアフガニスタンをかすめてクエッタだ。
途中黒い岩が多く荒涼とした、シスターン~バルチすターンを見下ろしながら、そういえばこの辺りでパキスタンは核爆弾の実験を行ったのだ、などと思っていると飛行機は静かに降下を始めまもなくクエッタに到着した。

クエッタの空港では、ヒンディ語・ウルドゥ語はもちろん、バルーチ語や究極のブーラフィー語を話すW大学M先生が迎えに来てくれるらしい。先生の専門である民俗音楽の調査もかねてバルーチ族の暮らすバローチスタン南部にもうすぐ行けると思うとワクワクしてきた。
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空港では歓迎のミルクティをご馳走になり、気持ちもリラックスしてきたところに、大きな荷物をカートにに積んで彼が降りてきた。
マシャドで貸したお金をリクエストしようかどうしようかと、少し迷ったが、彼を迎えに来た男がいたので話をすると、早速彼からのパキスタンルピーで20ドル分を即座に返してくれた。
これで益々気分がよくなり、今回の旅の行く先が明る見えてきた・・・。
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by caffetribe | 2006-09-17 21:09 | 出会いの旅
マシャドからクエッタ行きの飛行機は早朝の7時だったのだが、友人のサレヒが何時になく早めに空港へ行った方がいいとせかすので、3時に空港に向かった。ところが夜中の3時に空港の手前から信じられないような大渋滞が待っていた。マシャドの飛行場はこれまで何度か利用していたのだが、こんな事は初めてだ。
市内からは15分ほどで着くのだが、空港の手前からまったく車が動かなくなってしまった。渋滞は延々と空港の駐車場まで続いているようだ。時間に余裕があったので暫く待っていたのが車は動き出しそうな気配なし。いよいよしびれを切らし、荷物をトランクから出して歩き始める事にした。驚いたことに、空港周辺は車と人でごった返している。それも夜中の3時に・・・。
少し焦り始めて,空港へ入るもののどこもかしこも満員御礼の人だかり。
聞けば、多くがメッカへの巡礼者。そしてそのハジにあやかれとばかりの見送りの家族・親類・友人などが溢れかえらんばかりに、空港に屯していたのだった。
こちらもあわてて、ローカル空港でのクエッタ行きのチェックインカウンターを探すのだがどこにも見当たらない。身動きもとりにくい状態で、まさに右往左往していると。サレヒがどこからか扉を見つけ、その向こうに国際便のカウンターがあるという。パキスタン方面でも国際線なので、荷物のチェックやパスポートコントロールなどで、2時間前にチェックインなのだが、なんだかんだでもう6時に近くなっていた。あわててクエッタ行きの列に並ぼうとすると、大きな荷物をいくつも抱えた民族衣装のパシュトゥーン人の団体が前にいる。これは時間がかかりそうだ・・・。
彼らの多くは聖地マシュハドのイマームレザー廟に巡礼に来ているのだろうか、当然しっかりとトレードもしていくのだろう。暫く待ってやっと順番が来たのだが、前にいた大きなスーツケースを4つも抱えた男が、例によって荷物検査で引っかかる。
明らかにオーバーウエイトなのだが、どうもそれを支払う、イランのお金を持っていないらしい。後ろの客などお構いなしに口論がはじまった。聞けば、ドイツからイランを経由してカンダハールへ向かう在ドイツのアフガニスタン人のようだ。ドイツマルクはあるが、税関は受け取ろうとしない。
てなわけで時間はどんどん過ぎていく・・・。らちが明きそうにないので、しょうがない帰ることは無いかもしれないが、ポケットにあったありったけのリアル札を彼に貸すことにした。
20ドルほどだが、これでなんとか税関を通過する。何時になく早く空港に行けといってくれたサレヒに感謝する。
今回の目的のひとつは、このパキスタン経由フライトがイランの古いモノをチェックするかどうかという事であった。パキスタン・アフガニスタン人が多いので重量には厳しいが、中味はあまり見ないようだ。ただいつもこんなに混み合っているのかどうかは不明だが・・・。
入念なパスポート・ボディチェック済んで、ほっとすると猛烈にのどが乾いてきた。
ジュースを買って少しぼーっとすると、さっきのアフガニスタン人が隣に座った。
聞けばドイツから大量の衣料品を持ってアフガニスタンに帰るらしい。先ほどのお金はクエッタについたら知人が迎えに来るのでそのときに返すと言う。なかなか律儀な男だった。
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by caffetribe | 2006-09-15 18:34 | 出会いの旅
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重々しい木の扉を開けて中に入ってみると、そこは白い壁とシンプルな十字だけのある静寂の空間でした。
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白い漆喰の壁から十字の形の光が差し込む見事な演出は、訪れる人を宗教的な気持ちに誘い込む不思議な世界です。後でこの写真をヨーロッパの美術に詳しい知人に見せたところ、かの有名なコルビジェなどもこの演出をうまく取り入れているのではないかという事でした。

●この壁の外側はこのようになっています。
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ピンク・紫・ベージュ・アイボリーなどなど、モザイクのような天然岩の壁には、様々な造形の十字が刻まれています。
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この大理石に刻まれた十字架のレリーフがどれも見事で、これまでに見た事ないようなバランスの取れた造形を持つもので、キリスト教徒でなくとも思わず十字をきりたくなるような雰囲気でした。
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このモチーフなどは、ケルトの神話に出てきそうな美しいフォルムでここがイランであるということは完全に忘れてしまうほど、時間が2000年前にタイムスリップしてしまうかのような、時空を越えた世界でした。
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この大理石のレリーフの下半分には、おそらくアルメニア語で書かれたと思われる碑文が刻まれていました。
そんな美しい大理石のレリーフがごろごろと無造作に転がっていて、思わず持ち帰ってしまいたくなる(いけません!)衝動にかられました。
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by caffetribe | 2006-04-28 15:08 | 出会いの旅