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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

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絨毯数奇が集まる会「じゅうたん会議」のなかでもマニアックな勉強会「読む会」では、英国人絨毯研究家JON・THOMPSON氏の名著「carpet magic」をメンバーが交代で翻訳しながら読み合わせをしている。
■この本では前回紹介したように、絨毯の分類を従来の、地域や歴史、あるいは文様によ分類するのではなく、絨毯の織られる生活環境で分類するというユニークなものである。なかでも19世紀に部族共同体(トライバル・コミュニティー)で織られたものの素晴らしさに着目し、それらがどのような生活環境の中で織り続けてこられたのかに多くのページを割いている。

今回はそのトライバルラグについての最終章、まさに佳境といえる部分について行われた。
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■最終章は「The decline of tribal weaving」という斜陽の部族じゅうたんというタイトルで19世紀に大衆の熱狂?と共に西欧に受け入れられた部族の絨毯やキリムが、西洋文化と接する事で(欧米・ロシアなどの列強国の経済重視主義および工業化、新しい農業経営法=共産化)などの様々ないわゆる西洋化は田舎の共同体にまで侵食し、伝統的な部族固有の文化や生活環境を蝕んでいった。
ついには部族の伝統的なコミュニティーが消えつつあるという内容である。〈最近では情報化がかなり偏狭な地域のにも入り込み、絨毯やキリムの価格が急騰したり売れるデザインを織るようになりつつあるが・・・。〉

■その具体的例として、1860年頃から始まった合成染料の急速な普及をあげている。
初期のアニリン系化学染料は、とくに退色が激しく絨毯の織り手達にとっては、「災難」であったと述べられている。

絨毯やキリムは色だ!と言われるほどその色彩と配色そして染料はとても重要な意味を持っていると思う。(天然染料と合成染料についてはいずれまとめたく思っています。)

■また単に化学染料が絨毯に使用されることでおきた、表面的な絨毯そのものの変化だけでなく、安価に入手できるようなった化学染料の派手派手な色糸が、部族の人々の伝統的色彩感覚までも変化させてしまったという事に言及している。
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トルコのユリュックの女性達がギラギラの蛍光色で平織りを織っている。

■作者のトンプソン氏は1900年以降に合成染料を使用した部族系の毛織物には色の配色や色そのものにそれまでに無かったバランスに欠けるものが表れるようになってきたとしている。
また部族の女性達は元々明るくはっきりした色を好む傾向があり、特に子供たち、教育を受けていない人達、先入観の無い人達は共通して鈍く冴えない色よりは明るく鮮やかな色を好むとしている。(この部分には多少疑問が残る。バルーチ族などは昔からシックな色使いを好んできた故・・・。)

そして何よりの部族絨毯の特徴として、織り手がどのようにして織るのか(織り手の気持ち)が絨毯にとって何よりも重要だというであり20世紀の絨毯の大きな変化がこの部分と密接に関わっているということである。
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おそらくトルクメンの幼児が見よう見真似でままごとのように絨毯を織っている場面。
◎素晴らしい写真が多いこの本のなかでも、この写真が一番好きだ。

次は文明のグローバル化や戦争がどのように部族の共同体の織り手気持ち=絨毯変化を与えていったのかに続きます。

写真はすべて「carpet magic」から
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by caffetribe | 2006-08-31 17:47 | 部族の絨毯について。
国連大学に於けるウ・タント記念講演シリーズの第13回目の記念講演として渋谷の国連大学UNハウス 国際会議場で行われました。

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■講演タイトルは『文明の対話~平和と暴力の無い世界の構築、国家間の開発格差の是正、グローバル市民の形成をめざして~』という大統領時代からのハタミ氏のスローガンというべきものでした。
初めて訪れた国連大学は、青山の一等地にある立派なビルでギャラリーや資料室などおそらく相当に充実しているようで、一般の人が自由に利用できるといいなあと思いました。

■当日のプログラムは、学術講演にふさわしく、日本学術会議長・外務大臣政務官・国連大学学長などのご挨拶(歓迎の辞)があり、その後登場したセイエド・モハンマド・ハタミ前イラン大統領はスタンディングオベーションで迎えられました。

■講演内容は、いたって無難なというか教科書どうりの内容でしたが、イスラムの法衣を纏い知的で穏やかな印象とマイルドな声そして、柔らかい口調はおそらく多くの聴衆を魅了してきたであろうハタミ氏個人の存在感そのものが印象的でした。

■配られた資料から、ハタミ氏が大学で教育学を学び、イスラム革命後「ケイハーン・デイリー」新聞の編集長を努めた後、政界へ入りイスラム革命後最初の議員となり、1982年~1992年の間、文化・イスラム指導相を歴任したと知りました。その後ラフサンジャニ前大統領の顧問となり、1997年から2期の大統領を在任しました。

■講演の後半では、「メインテーマ」でもある文明間の対話についての具体的な解決案が盛り込まれていたもののハタミ氏以降の世界情勢を見ればしょうがない事かもしれないが、終始暴力の止まないイスラムと非イスラム地域の問題そしてますます広がりつつある経済的・軍事的格差の問題に終始していた。
ハタミ氏が6ヶ月前に自ら立ち上げたという、「文明・文化間交流センター」に是非とも期待したいものである。

■残念であったのは、短い時間のなかで殺到した質問の多く(朝日・読売新聞社)が同国の核開発の問題と現大統領の反米=イスラエル的な過激な発言についてという、政治的質問で、ここにそういう質問に答えるために来たのではないと苦笑いしながらも、長い時間米国の圧力とこの地域でのダブルスタンダードという、あえてハタミ氏から聞かなくてもよさそうな事ばかりであったことである。
■最後にイラン人と思われる素敵な女性が、宗教と政治について関わりについての質問があり、ハタミ氏のこれまでの経験と豊かな知識から「倫理と宗教」について、宗教とは人々の発展に帰依できるものであり、これからの発展的民主主義に宗教を取り入れていくことは出来ると述べていた。

国連の機関としては唯一日本に本部があるという、国連大学の貴重な記念講演としていえばもう少しイランという国が歴史的に積み上げてきた文明と、日本などを含めた歴史あるアジア諸国が、どのようにして互いの理解を深めることが出来るかという、具体的交流プランなどが示されると良かったのだが、流暢な日本語の通訳も含めてよい経験でした。
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by caffetribe | 2006-08-29 16:04
【グレートジャーニー】を達成された、尊敬する医師でもある冒険家関野吉晴氏が、またもや素晴らしい旅をされ、それがテレビで見られるらしい。

人類がアフリカから誕生し、遥かかなたの南米大陸最南端のパタゴニアに辿りつく道を、すべて人力もしくは犬ぞりなどの動力で旅した、『偉大なる旅』に感動された方も多いと思う。
個人的にも、テレビ番組に釘付けで、最後にアフリカに到達した時は本当に感動した。すぐ次の日から行われたデパートの『グレート・ジャーニー展』には馳せ参じ、遠くからではあったが(凄い人の波で)関野さんの姿を拝見した。

■その関野さんがまたやってくれそうだ。以前にこのブログでも紹介した『日本人の来た3つの道』を同じ角度から、すべて人力での旅を再現してくれるというのである。

北・西・南の三方向から、日本人の先祖はやってきたと考えられている。
つい最近まで残っていた、先住部族の伝統とダイレクトに繋がる=シャーマニズムは北(縄文=アイヌ系、恐山のイタコ)、南黒潮に乗ってきた南方シャーマニズム(宮古島のユタなど)は、まさに部族の来た道と言えるだろう。

【北方文化のとの関連性】 
アイヌ民族の多様な文様の世界。
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共通するシベリア~中央アジアの渦巻きなどの共通文様。
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中央アジア、キルギス族テント内の飾り(馬の鞍かも?)
中央アジアまでは少し行き過ぎかもしれないが、極北アジアからシベリアそしてモンゴル北部から中央アジアには、シャーマニズムという、共通した世界観を持つ人々の繋がりに満ちている。
■シャーマンとは医師であり、祭司である。「シャーマン」という言葉自体シベリアで遊牧と狩猟を行うツングース語系のエヴェンキ族の「サマン」という言葉に由来しているらしい。
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金属片や鈴など装身具をみっちりと全身に身に着けたシベリアのシャーマン。
■シベリアやモンゴルでは鍛冶屋はシャーマンよりも力が強いと考えられているようだ。そういう意味もあってか、シャーマンの奇妙な衣装に取り付けられる、金属は鍛冶屋によって作られ、鍛冶屋とシャーマンとは兄弟のようなものと考えれれている。
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これもキルギス族の刺繍した帽子であるが、シャーマンが儀式用に被るものと共通点が多い。

シベリアのタイガとモンゴル高原が接合するバイカル湖周辺地域に生活する、ブリヤート・モンゴル族の間ではソ連邦崩壊後、彼らの社会に相当な勢いでシャーマンの数が増えているらしい。ソ連時代の激しい宗教的弾圧で、それまでの長い間続いてきた彼らの宗教的支えが消えつつあったこ頃とは比べもにならないほどのシャーマンが復活しているようなのだ。
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オロチョン族のシャーマン儀式 非常に派手な衣装もこの地域のシャーマンの特徴である。

■バイカル湖といえば松本秀雄氏の血液の分類による日本人のルーツ。最も日本人に近いのがシベリアの先住民(ウリチ・ナナイ・ブリヤート族など)が思い出される。
イラン東北地方のマシャドに住むイラニアンハザラ(モンゴル系)の友人サレヒが「俺達と日本人は兄弟である。大昔に東の方に歩いて言ったのが日本人で西の方に来たのが俺達だ。」とよく言っていた言葉を思い出す。
■いつかN・H・Kの番組「日本人の来た道」で石器時代にマンモスを追っていた先祖が、氷河期を向かえ寒さから生き残るためにマンモスを追いながらユーラシア大陸を東西に進み、その東方に進んだ人々の一部が日本人との関わりが深いと行っていた。
そうしてみると、じゅうたんの修理人のサレヒの言う事も結構正しいのかもしれないと思う。
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マシャドの絨毯修理人サレヒー(写真 Y.Fukuyama
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by caffetribe | 2006-08-12 20:08
絨毯の世界でもそうなのだが、ムガール朝のアクバル帝時代(1556-1605)はあらゆる手仕事の、ある意味で頂点を極めた時代なのかもしれない。
一つ一つの文様の完成度においてそのような気がしてならない。
その背景にはインダスから続いてきたと思われる、頑な専門職人体制と、中央アジアやペルシアという近隣の高度な文化を柔軟にうまく取り込んできた繊細で自然主義的な植物表現が、イスラムという偶像崇拝が禁じられたという否定的な要素はあるにせよ、人間と植物とが一体となったような、一本の草花がある意味で完全な姿として表現されているように思う。

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カシミヤショールの部分 18世紀中葉 松涛美術館図録より

アクバル帝がこのショールの熱烈なる愛好者で、彼の衣装部屋は最高級のカシミヤ山羊のパシュミナだけを使用したショールでいっぱいであったようだ。
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ショール、カシミール19世紀 前半 松涛美術館図録より

このボテ文様は17世紀までの比較的シンプルでほっそりとしていて、根元まで描かれた文様から、次第に絢爛豪華な様式美のペースリー文様の世界へと変化していく事になるのだが、その変遷の間に様々なバリエーションがあり、世界の貿易史と重ね合わせてみるとまた大変に興味深い。
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カシミールショール、19世紀前半 松涛美術館図録より
このころからヨーロッパへの輸出も始まったようで、文様の一部にはかなり写実的なバラの花のような部分も見られてくる。全体の雰囲気はまだまだインド的テイストを残してはいるが・・。
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更紗 マスリパタム 19世紀 東京博物館所蔵
これはお隣のイラン向けに作られた思われる更紗だが、鹿を襲うライオン、パルメット〈ペルシア絨毯似よく使われる花)、ボテなど多くがイラン人好みのモチーフになっている。

このように近くはペルシア、そして中央アジア、ヨーロッパへと広がっていくボテ~ペイズリー文様は、デザインの変遷だけを見ていっても相当に楽しめそうである。
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by caffetribe | 2006-08-09 21:09 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜
知人のブログを見ていたら、共通の文様が出ている事に気づいた。
ブログの面白さは、同時多発的に共通なことがアップされることがけっこうあって、それについて何かをコメント、投稿したり出来る事もそのひとつかな、と思う。
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インドネシア スマトラ島の絞り(プランギ) シルク

■欧米では、ペーズリー文様、西南アジアではボテもしくはブーダと呼ばれる文様である。ちなみに日本では勾玉文様という人もいるようだ。
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カシミール地方ショールの部分(シルクロード研究所所蔵) (松涛図録より)

■1993年~94年に渋谷の松涛美術館で行われた特別展『ペイズリー文様の展開』という展覧会は見事にこのボテ文様で飾られていた。メインはなんといってもカシミールショールの圧倒的な文様世界であり、その原産地であるインドのカシミール地方のショールの素晴らしいコレクションがすごい存在感で展示されていたと記憶している。
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ペルシア錦 フラグメント 〈松涛図録より〉最初は頭が垂れ下がっていなかったらしい。
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インド染織の女王、ムガール時代に砂漠のテント掛けとして用いられたという有名な花文様。〈松涛図録より〉
■ペイズリー文様が表現されるカシミールショールはカシミール地方の最高の技術と、素材(カシミア)と歴史的背景(ムガール朝)などの様々な要素とインドならではの職人世界が生んだ織物の最高傑作ののひとつであろう。ムガールについてはこちらのブログへ。
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カシミールショールの部分、カシミール地方〈松涛図録より〉
見事にバランスのとれた美しい造形である。
■知る人は知っている事実だが、産業革命はこのカシミールショールが原因で興ったという人もいるぐらいだ。
現在、我々の都市生活に欠かせない多くの機械製品。これらは、ヨーロッパで興った産業革命に端を発しその後の目覚しい進歩?によって現在に至っているといえるだろう。
この背景にヨーロッパ、特にフランスで起きたカシミールショールの爆発的な大ブレイクがあった事、そしてその織物技術の機械化(ジャガード織り機)がフランスのリヨン、イギリス、スコットランド地方のペーズリーで発展し、そえまで手仕事(職人的)で行われていた数々の技術が大量生産可能な機械化へと大きく転換していったようである。
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by caffetribe | 2006-08-08 20:05 | ボテ文様(ペイズリー)の系譜
8月1日の朝日新聞の夕刊の文化欄「ステージ」でシャハラーム・ナーゼリーのコンサートの評論が掲載されていた。「聴き手吸い込む静かな高揚」というタイトルでナゼリーの自然で静かななかに彼独特の歌唱法とそのキャリアで、聴くものを彼の世界へ吸い込んでしまう。という大変に好意的なものであった。またクルド族である彼がクルド語にこだわって、「シャーナメ」やルーミーを歌い上げたことに対しても、「言葉の壁を越えることの素晴らしさと、越えない事の大切さを教えてくれた」と結んでいた。
以前に、このブログでも紹介した、心のよりどころとしての母語や幼い頃の原風景,遊牧系部族にとってはある意味での絨毯。
彼のルーツであるクルド族の絨毯がコンサートで活かされたとしたら、私にとってそれはなによりの高揚であった。
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■上下共黒の衣装が神秘的な雰囲気を醸し出していた。
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by caffetribe | 2006-08-03 19:36
最近は空前のペットブームのなか、犬などに服を着せて連れ歩く人の姿を目にする。中には数万円もするヨーロッパブランドの首輪や紐、などもあるそうだ。そういう意味ではこの遊牧民の動物飾りも、家畜にたいする愛情の現われであり、共通するものがあるのだろうか?
ちと、違う気もすのだが・・・。
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これはイランとアフガニスタンの国境付近のバローチ系部族のカウベルならぬキャメルベル。とても良い音がします。

■ギャンダンバンド【ラクダの首飾り】トルクメン族が婚礼用につけるラクダの首用飾りとそれ以外の遊牧民が飾るものと大きく2つに分けられる。
トルクメンのモノは非常にユニークな形をしていて、刺繍やパッチワーク風の小布(10センチ角程度)の飾りがたくさんぶら下げられる。そのほかのバルーチ系やパシュトゥーン系部族では幅が10センチほどの細長い毛織物を輪のように2重に織りそれをラクダの首にぶら下げる。ほとんどのものに染められたカラフルな毛糸の房飾りがぶら下がっている。
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チベットのヤク用頭飾り。パイル
■頭飾り・・・【ラクダ,馬,羊,ヤクなど動物の飾りもの】
ユニークなのはチベットのヤクなどの動物の頭に着けるパイル状の飾りで、そのものに目、鼻、角まであり形自体も顔の輪郭そのものという大変に面白いオーナメントである。これをリーダー格のヤクの額部分につけるそうだ。顔が2重になるようで不気味な感じがしないでもないが・・。

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イランのクルド系キリムの代表的産地セネェキリムのホースカバー(綴れ織)
D.Jenkins collection

■ホースカバー・・・ 【馬の背あておよび飾り】ジュル・アスブが鞍の上に載せるための機能があるのに対して、ホースカバーは主に馬の背中全体を覆う毛織物である。首の前部分に被うために、独特な造形を持っている。一説に冬の乗馬後に、鞍を外した直後に背中が急に冷えるのを防ぐために掛けるとも・・・。ほとんどの遊牧系部族によって作られているが、部族によって技法が違う事も興味深い。例えば、ウズベクでは刺繍で、トルクメンでは当然パイル、シャーセバンはスマック、クルド(セネ)は綴れ、などなどその部族を代表する技法と文様で織られたホ-スカバーは、動物に対する愛情を感じられる毛織物の代表である。ドイツ人コレクターKarl Claus氏はホースカバーだけを集めた本が出版しているが、チベットや日本の藍染の馬の背あてなどの収集も紹介されている。


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タイマニ族(アフガニスタン)パイル馬用座布団絨毯。ジュル・アスブ■ジュル・アスブもしくはイエールリッキ・・・【乗馬座布団】これは主に馬用の座布団的な使われ方をするものである。おそらく皮製の馬用鞍の上に敷いくクッションの役割をするのではないだろうか?実際に使っている光景や写真を見たことが無いので・・・。
変形な6角形のものが多いが下の方が丸みを帯びているものや、正方形に近モノもある。
また皮製の鞍から突き出している突起物(名前が不明)を出す穴が全部に開いているのが特徴で、弾力性に富むパイルもしくはフエルト製のものが多いようだ。特に限定した部族だけが作るということは無いようだが、タイマニやヨムート族などアフガニスタン北西地域の部族に良く見られる。(これだけは、人間の為のものか?)

■繰り返しになってしまいますが、遊牧民にとって家族の次に大切なのは羊・ラクダ・馬・山羊・ロバなどの家畜です。
人間のためだけではなく普段世話になっている家畜のために目いっぱいの愛情を込めて織る、動物飾りには遊牧民らしい『機能より美しさが大事』の精神が詰め込まれているようにあらためて思いました。今回の展示と研究会でますます遊牧民が好きになりました。
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by caffetribe | 2006-08-01 19:08 | 遊牧民の道具から