ブログトップ

部族の絨毯と布 caffetribe

caffetribe.exblog.jp

部族の絨毯と布

<   2009年 09月 ( 7 )   > この月の画像一覧

どうしてここまで赤い色にこだわるのか、人はなぜ色にこだわるのか、その答えは見つからないだろうが人は様々な色を出すためにとてつもない努力を重ねてきたことは間違いないようだ。
そして、鮮やかな色を出すこといつの時代でも最先端の技術であり、古代にとっては魔術師のような力を持つ存在でもあったかもしれない。
a0051903_23232764.jpg
この写真は以前にも紹介したかもしれないが、バルーチ族の修復師がバルーチ特有の濃く、暗めの赤を出すために、茜の染液にわざと胡桃などの渋皮を入れることで出てくるタンニンの作用で濃い赤を染めている。
a0051903_23132035.jpg

a0051903_23244239.jpg

a0051903_23265583.jpg
           ≪三枚ともバルーチ族のサドルバックの表皮 パイル≫

これに対して、トルクメン族は鮮やかな赤を好むようだ。トルクメン絨毯や衣装、装身具などどれも赤い世界であることは紹介したが、特に絨毯に使われる染料は時代と共に変化して来ているようだ。
合成染料が出現するのが1856年イギリスの王立研究所でマラリアの特効薬である「キニーネ」を合成している最中に偶然出現したの赤褐色の沈殿物をアニリンに変え出来たものを染めてみたところきれいな濃い紫色が出来たのがその最初と言われている。この発見者はまだ18歳の若者でウィリアム・H・パーキンがこの色にフランス語で「葵」を意味する「モーブ」という名前をつけたのは有名な話であるが、これ以降あっという間に合成染料の波が広がり、かの有名なドイツのバイエル社をはじめ合成染料は破竹の勢いで広がっていった。
ただ出来た当初のアニリン系染料は色落ちが激しく、赤は薄いピンクに青紫はグレーに変色したという事実もあるようだ。
こうして、植物や鉱物から抽出した天然染料の時代は終わりを告げるが、それ以前の人々の色に対する思いは知るほどに興味深い。
日本では「赤」の天然染料と言えば紅花を第一に上がる人が多いが、エジプト原産の紅花は染色技術が難しいことや堅牢度が低いことなどから、日本以外ではあまり使われなかったようだ。
それよりもなんと言っても「茜」が西・中央アジアでは一般的である。この茜にはかなりの種類があるようで以前紹介したドイツ人研究者H・BOMMER氏はこのあたりの専門家である。
a0051903_23453729.jpg

天然染料を知るにはこの本が様々な意味で最良と思われるが、日本にも「草木染」めという言葉を創造した山崎家の存在は素晴らしく、現在も高崎の工房で草木染の可能性を追求されているようだ。
a0051903_2349581.jpg
                ≪H・BOMMER氏の本にある茜の草≫
a0051903_23484558.jpg
             ≪山崎家で見た茜(根)の乾燥したもの≫

天然染料が使われたキリムや絨毯では圧倒的に茜系が多いと思われるが、稀にラック(臙脂虫)やケルメスダネと呼ばれる虫の巣から抽出した赤もあり、これらは茜に比べて色彩的に紫~ピンク系の色だと言われている。中南米に多いサボテンにつくコチニールの同様に強烈な赤を抽出できる。
インドシナ半島でも赤い色が好まれ、特にカンボジアの絹絣(クメールシルク)のほとんどは色気のある艶やか赤い色で染められている。この地域ではラック(臙脂虫)やインドでよく使われる蘇芳が用いられるようだ。
a0051903_0342.jpg
                ≪クメールシルク サンポッットホール 腰巻布 絹絣≫

昨年の手仕事プロジェクトでこの絹絣を何枚も掛けてみると、その空間だけがなんとも妖艶な雰囲気が出て
あらためて色の持つ不思議さに驚いたことがあった。
「色」とはそもそも色気などがしめすように、本能的な部分を揺り動かす働きがあるように思えてくる・・・。

10月1日から手仕事フェスタ2.がスタートします。最初の展示会青葉台「エスニカ」さんではこの「赤」をテーマにアジア各地から様々な手仕事を紹介します。

トルクメンの絨毯、衣装、装身具・トルコのキリム・ウズベクのスザニ・インドの更紗・カンボジアのシルク・チベタンラグ・インドシナ少数民族のテキスタイル、中国家具など等、どどんな赤に出会えるか、また「赤」を集めることでどんな世界が出現するのか楽しみです。
[PR]
by caffetribe | 2009-09-30 00:22 | Life is color
文化服装服飾博物館の「赤い服」の展示も残すところ3日程になりましたが、時間が許せばもう一度足を運びたいほど、充実した濃い内容の展示です。ギャラリートークでも、学芸員の方が世界には本当にたくさんの赤い服があり、そのどれもがとても大切なものとして着続けられている。というお話がありましたがまさに「命の色」として愛用されてきたことが伝わってきました。
a0051903_23332085.jpg

                 ≪ イラン 南部 カシュガイ族の少女≫

また、面白かったのこれまでもかと言うほどの赤い世界の片隅に緑のプランターが置いてあり、不思議に思っていると赤いものを見続けると網膜にハレーションを引き起こし緑色の残像が残るいう解説と共に、ドクターが「手術の際などに着る手術着が緑色なのは、手術時に赤ばかりを見続けると残像で色が見難くなる現象が起こらないように、時々反対色の緑を見て、目を休めるということでした。同様に食肉を扱う人たちの作業着も青い色が多いのはそんな訳があるそうです。赤を見続けるということは、脳の中では緑色が反応しているという不思議な事実でした。
a0051903_23335723.jpg

                   ≪藍の生葉 高崎 草木染工房≫
赤には色々な効能もありそうです。よく赤い下着を着けると冷えないとか、血行がよくなるとか、はたまた自然治癒力が高まるとかある意味迷信のような話がありますが、非科学的でない話にも実は効果があるのではと思えてきます。博物館の展示でも特に赤いスカートや腰巻類が多く展示されていたように思います。
合成染料が出現するまで、自然界にあるマテリアルだけでどのように赤い色を抽出してきたのかは興味のあるところです。同時に深い赤い色を出は、いつの時代でも価値のあることであったように思えます。
最初に赤いものを集めて展示したときに、大変に面白い事実をしりました。
「染めは薬に始まる」という持論を展開された村上道太郎さんという染織家の本の中のお話です。
a0051903_23591240.jpg

                  ≪茜染めの糸≫
シベリアのアンガラ川支流のマリタ遺跡という2万5千年前の石器時代の遺跡から、赤い枕をした子供(3~4歳程度)の遺骨が出土し考古学者の中で話題になったことがあると言うものです。
当時は繊維などを織る技術は無かったかもしれませんが、赤鉄鉱という鉱物を意識的に子供の頭の下に置いていたのではないかいう説です。考古学者達は「この埋葬儀礼には、当時すでに死後も生前と同じ生活があるとの観念があったのではないか。」というものす。同時に亡くした子供が再び生命を得られるような命=血としての象徴が「赤い枕」ではなかったと言うのです。日本でも縄文時代の遺跡から、住居の直ぐ入り口に幼子の遺骨が埋葬されていることがあるそうです。古代では死は再生への入り口でもあったであろうし、子供を小さくして亡くした親の気持ちも痛いほど伝わってきます。新生児は青ではなく赤ちゃんです。

赤は生命の色といえるのではないでしょうか?
a0051903_012927.jpg

                ≪トルクメン ベシール ラグ クラウドバンド(雲龍)デザイン≫
[PR]
by caffetribe | 2009-09-27 00:04 | Life is color
そもそも「赤い絨毯」と出あったのは20年前の旅でした。
a0051903_23104015.jpg

             ≪1988年 イスファハン イマーム広場 バザール入り口≫
1988年の3月イランVSイラク戦争の最中イスファハンに滞在していました。
戦火は激しくなり、テヘランにはイラク軍のほこるスカッドミサイルが被弾してシーアモスクの多いイスファハンに疎開していたときの事でした。
世界の半分と詩われた古都イスファハンを訪れる人も無く、ひっそりと人影もまばらでした。
することも無く川に向かうすずかけの並木道を歩いて来たときのことです。前から歩いてきた若者が「サラマレコム」と言って手に持っていた人参を差し出してくれたのです。
そのとき私は躊躇せずにその人参を受け取り口に運びました。戦火に中で精神的にまいっていた私にとって、その人参はとても甘く、乾いた喉と気持ちが潤うのを感じました。
a0051903_23225923.jpg

                      ≪テケ ギュル Tekk Turukemen≫

イスファハンの絨毯商はイランでも有名な商売上手と評判でしたので、注意していたのですがその若者には
なぜか心が癒されるのを感じたのです。そのわけは彼の顔が私と同じ日本人のようであったからかもしれません。「こんなところでこんな時に何をしているんだい?」と度々聞かれることもあったのですが、彼は何も言わずに、もう一本人参を差し出しました。「ホシュマゼル」と答えると「何処から来たの?」と英語で話しかけてきました。最初は日本人と思った彼は、後で知ったのですがトルクメン人の青年でした。
a0051903_23325778.jpg

                     ≪ヨムート ギュル Yomut Turkmen≫

時間はたっぷりあったので、二人で川のたもとにあるチャイハネへ行くことになりました。私達はザーヤンデ川の水の流れを見ながら、互いに片言の英語とペルシア語で話をしました。チャイを何杯も飲み、水タバコをふかしてすっかり仲良くなりました。彼はモタギーと名乗り、イラン東北地方にあるゴンバディカブースと言うトルクメン族が多く住む町から、イスファハンにある美術学校にペルシア書道を習うために滞在していたのです。
a0051903_23423050.jpg

                  ≪ヨムート ケプサギュル Yomut Kepuse Turkmen≫

翌日は彼の案内で「アリ・カプ」王の宮殿の直ぐ裏手にあった、美術学校を案内してもらいました。数百年前に建てられたモスクや宮殿に囲まれた小さな美術学校には、イラン各地から集まった美大生達が居て当時のイランには珍しかった外国人に対して興味深でした。中にはラジオの海賊放送を聞いて憶えたという、流暢な英語を話すシュールレアリストなども居て、多くの質問を受けました。海外の情報に餓えていた先進的な若者達と当時のイラクとの戦争や国際政治のあり方、そして将来のイランと日本の関係について話は尽きませんでした。
a0051903_05337.jpg

                    ≪チョドール エルトマンギュル Chodor Turkmen≫
それから数日間毎日のようにその美術学校に通い、何人かの知り合いが出来ました。トルクメン族のモタギー氏と一番の仲良しは、アルメニア国境にも近いジョルファという町から映画関係を学びに来ていたアルメニア系の男で、映画監督で有名なマフマルバフに似た彼には様々なイラン文化を教えてもらいました。
サントゥールというピアノ線を撥で直接叩く楽器の演奏や、暗い映像と重々しい音楽が印象的な映画館などにも連れて行ってくれました。パワフルな彼らの中でモタギー氏はいつも穏やかで、彼の顔を見るとホットしました。
a0051903_23545715.jpg

                    ≪エルサリ ベシール Ersari Turkmen≫
そのときに経験したことはおそらく今の自分にとって大きな糧となっているでしょう。そしてモタギー氏との出会いでトルクメンとはどんな人達で、何処に住んでいるのかとても知りたくなりました。彼の故郷であるゴンバデ・カブースにも行ってみたいと強く思うようになってのです。しかし、戦争状況が悪化して外国人はすべて国外退去となり、その時はその思いは叶いませんでした。                             (つづく)
[PR]
by caffetribe | 2009-09-22 00:09 | 出会いの旅
 世界の先住民族、特にユーラシア大陸の少数部族にとって「白・黒・赤」の三つの色は象徴的な色として儀式や祭りには欠かせない色でした。特に赤には魔を払う魔除け的な意味があると信じられてきたようです。

中央ユーラシアを東西に駆け抜けたチュルク系騎馬民族の達にとって「赤い色」には特別な意味があるようです。中でもトルクメン族は絨毯・衣装・刺繍布・フェルト・金属工芸(アクセサリー)などにこれでもかというほど
赤の色を使用してきました。赤い色の持つ呪力を信じてきたといえるかもしれません。

a0051903_23201335.jpg

             ≪トルクメン ヨムート族 絨毯の部分 ギュル文様 ≫

このブログでも何度も取り上げていますが、トルクメン族は中央アジアの草原地帯をアハル=テケという優秀な馬に乗って移動生活を続けて来た勇敢な部族です。ある時代には東アジアの漢民族の土地に度々侵入し
あの偉大な万里の長城を築かせるに至り、ある時は小アジアのアナトリア半島に攻め入り、セルジュク朝トルコを興したことでも知られています。何万キロにも及ぶユーラシアを移動しても彼らが勇猛果敢でいられるには、発達した「オイ」と呼ばれるドーム型テントの存在があったからではないでしょうか?
砂漠の猛暑や山越えの厳しい寒さなどの激しい気候条件や、周辺地域の多民族とのやり取りなど、数多くの困難を乗り切りながら旅を続けるには、暖かく、居心地の良いテントという移動型住居の存在が欠かせなかったと想像できます。
そのテント内を飾るのが彼らが好む赤い絨毯です。
a0051903_23485464.jpg

              ≪トルクメン テント内の再現? JAPANTEX2007より≫

トルクメン族のテント「オイ」モンゴルではゲルの中はおそらく赤い絨毯で埋め尽くされている事でしょう。それほど彼らの織る絨毯には赤い色が使われています。
a0051903_23524021.jpg

            トルクメン絨毯  アフガニスタン北部  羊毛≫

さらに、彼らが生活で使う様々袋物(ジュワル)は衣類や、食料、道具などの収納袋として周りに飾られます。
a0051903_23555955.jpg

                 トルクメン族 teke フェルト製の袋物 刺繍とアップリケ≫

また女性達の着ている美しい衣類(チルピィ)も多く赤字か黒字に赤い刺繍で飾られます。ごく稀に黄色地の
チルピィがありますが、これは男子を産み成人させた女性が、白地は63歳を、迎えた女性だけが着られるモノだと聞いたことがあります。
a0051903_001844.jpg

     トルクメンの女性達 J.Thompspn 1993 sazabys catalogより引用≫


余談ですが、このチルピィは袖を通して着る場合と頭から被る袖のないものがあるようですが、日本にも庄内地方(山形県)に「かつぎ」と呼ばれる被り物があって驚きました。トルクメン族はトルコ=モンゴル系なので時々日本人のような顔立ちの人がいて驚くことがあります。
a0051903_061952.jpg

                ≪トルクメンの衣装チルピィ 袖のように見えるのは飾り≫


また、もうひとつトルクメンの魅力に優れた金属加工技術によりアクセサリーの手仕事があります。
日本でもポーラ美術館がコレクションを持っていて、それだけを集めた本「シルクロードの赤い宝石」も出版されているので、いつか紹介してみたいです。
今回の文化服飾博物館にも何点かの素晴らしいアクセサリーが展示されていました。昔のものはシルバーに赤い宝石(紅玉瑞=カーネリアン)が使われているようでした。騎馬民族でもあるトルクメンが馬具や蹄鉄、鐙などの乗馬用の金属加工技術に長けていたことは良く知られていて、日本に於ける蹈鞴(たたら)製鉄技術集団との関連性も興味深いようです。蹈鞴(たたら)=タタール(韃靼人)なども彷彿させます。
a0051903_0122156.jpg

                  ≪トルクメンの装身具 金属加工 IPAKYL HP より≫


トルクメンといえば「赤」。この赤い色に魅せられた人々の手仕事を10月より紹介します。
詳しくはこちらから。 手仕事フェスタ=sui=vol.2
[PR]
by caffetribe | 2009-09-19 00:20 | Life is color
ここ一ヶ月ほど「赤という色」に出会う機会に恵まれた。
10年ほど前になるが、部族の赤い世界という企画展を何度か行った。当時集中して収集できたウズベク族の手仕事「スザニ」トルクメン族の伝統的「トライバルラグ=部族絨毯」、カンボジア・クメール民族による絹絣「サンポットホール=イカット」そしてビルマ・シャン族の漆工芸などである。
a0051903_23123266.jpg

                 ≪1998年 展示会のDM写真≫

集めてみると、どんどん「赤い色」のもつ不思議な魔力のような力に魅せられ「赤」にはどんな意味があるのか
世界にはどんな赤い色の手仕事があるのか、赤にまつわる世界に引きこまれて行った。

a0051903_23173242.jpg

   ≪ウズベキスタン タシケント 刺繍布 スザニ  ≫
赤にのめりこんだ原因のひとつがこの布との出会いであった。当時はスザニブームの少し前で、ソ連が崩壊して間も無く始まったウズベクの市場経済への移行期でもあり、ソ連時代に隠し持っていたアンティークな手仕事が放出されるというタイミングでもあった。知る人ぞ知る世界の至宝のひとつであったウズベクのスザニイカット(絹絣)を巡っての争奪戦が始まったばかりであった。
前置きが長くなったしまったが、このスザニはそんな時代に日本に渡って来たもので生成りの木綿地がほぼ見えないほどのみっちりとした刺繍が施されている。この大胆な構図はまさに力の象徴なのか、円形のモチーフは太陽とも月とも石榴とも言われるミステリアスサークルである。
渋谷のあるギャラリーで展示したときにこの布を正面に掛けていたら、あまりもインパクトが強すぎるので
取り替えて欲しいというクレームが来たこともあった。

a0051903_016313.jpg

 ≪ウズベキスタン フェルガナ地方 チャパン 絹絣 イカット 文化服飾博物館所蔵≫
19990年代、目の聞いたバイヤー達は、価格差の大きいウズベキスタンからいち早く逸品を入手し、イスタンブールなどを経由して欧米のコレクターや美術館にディールしていた。まさに一攫千金のチャンスがあった時代である。

話は変わって、現在新宿にある文化服装学院服飾博物館において「赤い服」~日本と世界の様々な赤~という展示会が行われている。会期は9月30日まで先週末にはギャラリートークも行われた。
a0051903_2335578.jpg


さすがに世界各地の民族衣装のコレクションはトップクラスのモノばかりで見ごたえのあるものだった。
同時の「赤い世界」が展開され会場にいるだけで、ワクワクし、大げさだが体が火照るような感覚があった。
実は2回も見に行ったのだが、その度に高揚した気分を味わえた。

a0051903_23422537.jpg

a0051903_23442262.jpg

a0051903_23451391.jpg

a0051903_23455546.jpg

        ≪文化服飾博物館出版 「世界の民族衣装」からの引用。≫

上から韓国・中国・アフガニスタン・シリアとどれもが見事な「赤い服の世界」である。
もちろん日本を代表する打掛やラシャの陣羽織など博物館の自慢のコレクション総動員の展示である。
展示では赤い染料なども展示され染織ファンには親切な展示にもなっている。

10月からは手仕事フェスタsui. vol2でもアジアの赤をテーマにした展示を予定している。
少し涼しくなってきた秋の入り口に「赤の色の不思議」を出来ればしばらく続けて見たいものだ・・・。
[PR]
by caffetribe | 2009-09-14 23:56 | Life is color
今時思いだすのは、そう、すこしずつ記憶から遠ざかりつつある2001年9.11同時多発テロ事件である。
おそらく何年前のブログにも書いたと思うが、やはり21世紀はこの事件から始まり未だにそれは世界各地の状況を変え、アフガニスタンでもイラクでも、そしてアメリカでも多くの人々の人生をより複雑なものにした。
出来そうもない事かもしれないが、9月11日は世界中で現在も続いている紛争をストップしそれが何ゆえに起きているのかを考える日になったらと願う。

8年前のその日パキスタン西南部のバローチスタンに滞在していた。

a0051903_17562952.jpg

カラートへ向う峠の道

W大学のM先生(バローチ研究家)と共に暫く滞在していた、パキスタンの都市クエッタからさらにバローチスタンの奥地を目指すべく、ピックアップトラックをチャーターしてバローチスタンの古都カラート(砦)から年老いた楽師を探すべく秘境?ニチャラー村を目指していた。

a0051903_1757443.jpg

          パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町

この町に着いたのが2001年9月12日まさにNYがパニックになったその後であった。
町は至って平穏であり3年ほど続いた厳しい旱魃の影響なのか、乾いた砂埃が風に舞う景色が印象的だった。ここではラクダ市などを眺めたり、これから入るニチャーラー村に必要な荷物の買出しや乏しい村への情報収集を行った。

a0051903_1853178.jpg

          パキスタン南部 バローチスタン州 カラートの町

この町に多く暮らしているのは、バローチ(イランではバルーチ)族系の人々でその中にはブーラフィー族といわれる人々がいる。特にこのカラートから南部はブーラフィー系の人々が多く暮らしているようだ。
また、ブーラフィー系の人々はあまり商業活動を好しとしない風潮があるようで、商店などはパシュトゥーン系の人々に委ねているようだ。
私にはブーラフィー族とバローチ族とは外見的には、ほとんど見分けがつかない。研究者M先生にはその違いがわかるらしい。
まず言葉が違うらしい、バローチ族はペルシア語系でイラン~イラクにも多いクルド人の使うクルド語にも近いそうだ。それに対してブーラフィー族はなんとインド南部が原郷とも言われるドラヴィダ語系らしい。
M先生はこの文法的にも困難極まりない、ブーラフィー語をクエッタのバローチスタン大学でマスターされたらしい。そしてこのイトオシキしき「サベージ=野蛮人」ブーラフィー族をこよなく愛しておられるようだ。
其の旅でもそれは様々な形で体験することが出来た。

a0051903_18181198.jpg

          これはM先生がなんとオークションで入手された絵葉書。M先生より
a0051903_18192050.jpg

     そしてこれが誇り高きブーラフィー族の戦士である。M先生より

同時にブラフィー族は美しいキリムを多く織る。彼らの言葉(ブーラフィー語)でキリム(敷物)をコーントと呼ぶ
ようだが、これは彼らが得意とする芸能活動において詠われる詩の中にも登場するようだ。
≪コーントを広げればそこは花園・・・・。≫遊牧民にとってそれは共通の楽園的イメージなのだろう。
a0051903_1829664.jpg

      朝もやの中で演奏してくれたブラフィー族の楽師 弾くのはサローズ。

現在も混迷の続くパキスタン南部~アフガニスタン美しい詩や音楽を愛する人々に一刻も早い平和が訪れることを願う。
[PR]
by caffetribe | 2009-09-11 18:31 | 出会いの旅
生命の樹を検索でひいてみると、上位に出てくるのは「セフィロトの樹 」ユダヤ教の神秘思想カバラに登場する生命の樹である。
a0051903_064727.jpg

このシンボル的なモチーフに関してはWikipedia をはじめ多くの情報があるのでここではあえて紹介しないが旧約聖書にも登場する象徴的な文様の代表といえるかもしれない。
言い換えると、一神教的世界観の中でこの「セフィロトの樹 」=生命樹は精神世界の中心をなす無意識的イメージの世界でも重要な意味を持ってきたといえるのだろう。
前回から紹介してきた遊牧民のキリムや部族絨毯に表現された「生命の樹」も西アジアに於ける一神教世界観に自然と溶け込んできたものかもしれない。ところが、イスラム教という絶対的な一神教のなかで、ある意味で信仰の対象ともなりえる「生命の樹」文様はどのような意味を持ちどのように表現されてきたのだろうか?
ここにとてもユニークな一枚の絨毯がある。

a0051903_0214083.jpg

                 イラン イスファハン 樹木文様 コルクウール 

この絨毯に画かれている、柳のような樹木と鶴のような鳥はイスラム美術というよりは中国絵画的、もっといえば、書画骨董の「掛け軸」に出てくるような「絵画」である。日本の絨毯研究の第一人者といわれる杉村棟先生も本来のご専門は「イスラム美術」で特に中国絵画とイスラム美術との関係性がライフワークであると仰っておられた。さらに生命樹=神樹と柱立て、そこに欠かせない鳥と樹木の関連性は実に興味深い世界が広がっている。
2001年に出版され、このあたりについてたいへんに詳しく書かれた本で「神樹」~東アジアの柱立て~
という本がある。
a0051903_0344714.jpg

民俗学者の萩原秀三郎氏著作のカラー写真も豊富な名作であるが、宇宙の中心を巡るというコンテンツのなかに信州の奇祭「諏訪神社の御柱祭り」から中国少数民族の「稲と鳥と太陽」の生命樹信仰(本の表紙)からシベリアに於けるシャーマニズムの中心的役割を担う「柱立て儀礼」を貴重なフィールドワークと共に紹介している。

a0051903_0435889.jpga0051903_0441875.jpg




諏訪神社の御柱祭り
「御柱祭り公式サイトより引用」








もちろん東アジアに限らず、東南アジア、インドネシア、インド、ネパールなどにも非常に共通した祭りや儀礼信仰の対象となる表現は驚くほど多くまた類似している。
インドネシアスマトラ島に伝わる儀礼布タンパンクロス「霊船布」にも生命樹と鳥や龍の複合した表現が多く見られる。この地域の人々にとって船と生命樹そして龍に乗る祖霊は彼らの先祖そのものとして、神話世界に登場する最も重要なイメージでもある。(先祖は船に乗って海のかなたからやってきたと伝えられている。)

a0051903_047796.jpg

                インドネシア スマトラ島  霊船文様布  タンパンクロス

こうした鳥や龍と共に表現される生命樹はアジアにのみならず、汎太平洋に広がる先住民文化にも共通して見られるようだ。例えば、北米地域の先住民文化としてよく知られるトーテムポールやアーストラリア先住民のスターポール、北欧先住民ケルト文化のメイポールなど数え上げればきりがない・・・。

こうしたトーテミズム的(アニミズム的)シンボルを持つ生命樹文化は、イスラム教が広まった地域のなかでも、遊牧的な生活を続けて生きた人々のなかに、時として表現される場合があるようだ。
a0051903_122489.jpg

                      バルーチ族 祈祷用絨毯の部分

このなんともユニークなモチーフはバルーチ族の祈祷用絨毯のなかに表現された文様である。
鶏冠を持つ鶏のようなモチーフはバルーチ族にとって重要なトーテムを意味するモチーフのようだが、この中では生命樹と混合されてなんとも不思議な形として表現されている。
西アジアに暮らす遊牧民にとっても生命樹+鳥などはイスラム教以前のアミニズムやトーテミズムあるいはシャーマニズムなどのいわゆる原始的信仰といわれるものの名残なのか・・・?
イラン西部のザクロス山脈地域のルリスターンにも鳥と柱に関連するような奇妙なブロンズが出土している。

象徴的文様の持つ意味を探る上でも興味深い世界である・・・。
[PR]
by caffetribe | 2009-09-08 01:07 | A Tree of Life 生命の木