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部族の絨毯と布 caffetribe

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部族の絨毯と布

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染織と生活  (textile in living)
季刊no.8 1975年冬・春 号
ペルシア・カーペット小史(3)

西方染織雑記から 吉田光邦著

『染織と生活』とは染織好き及び関係者にとって、あまりにも有名な『染織α』の昔の名前であり、その名の通り染織と生活社から出版された初代の染織系専門季刊誌である。
海外染織品*の特集も多く、『染織と生活』に掲載された30年以上も前の絨毯に関しての貴重なテキストである。

著者の吉田光邦氏は、当時京大の人文学研究所の助教授であり、西アジア地域の染織品や工芸品についての第一人者として様々な著作を残している。次に紹介する『絨毯とタピスリー』のなかでもペルシア絨毯のパートを担当している事からも、この当時絨毯研究特にペルシア絨毯おいの専門家であったことが窺い知れる。
この号に関しては、素材、(絹・木綿・羊毛)技法(トルコ結びとペルシア結び)そして、染料(アニリン染料とクロム染料)について現地取材など共にコンパクトにまとめられている。
おそらく当時1970年代は最も化学染料が普及していた時代であろう。
*『堺緞通』の著者として知られる角山幸洋氏が同誌8号のなかで『パナマの染織工芸』として最近話題のモラにつて興味深い解説されている。
著者も今日では各カーペット産地で殆ど化学染料が使用されると述べている。またペルシア絨毯に化学染料が使用させるようになったのは19世紀で、当時は便利なため盛んに使用されたが、次第に欠点が明らかになり、ナシル・エディン皇帝時代には輸入を禁止する動きがあり、その後継者のムザハルシャーは1900年以来繰り返し禁令を発し、ついにはアニリン染料の破棄、および使用したカー
ペットの没収処置を命ずるに至ったとある。しかしその50年後には禁令は廃止され、没収の代りにアニリン染料使用のカーペットは3%の輸出税を課すことになった。しかしその効果は少なく、その後輸出税は9%にさらに12%まで及んだということである。
それでも圧倒的に安価なアニリン染料の輸入は止まらず、バザール商人にとってこの便利さは大きな魅力であったようだ・・・。特に当時から染料として、高価であった『赤』は特に重宝されたようである。その後はより堅牢で退色しにくいクロム系の染料に代っていくが、このクロム系染料で染められた糸はいかにも鮮やかで、時には金属的な輝きにも似た印象すら与えると述べている。
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そして天然の染料とはあまりもかけ離れた色調を持つ現代生産のカーペットはデザインこそ同じでも全体的な感覚は著しく異なったものになろうとしているという苦言を呈している。
皮肉にも、あまりに行き過ぎた化学染料時代の反省からなのか、草木染に戻りつつあるのが現在の手織り絨毯生産状況である。
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by caffetribe | 2010-09-28 22:29 | おすすめの本
  趣味の価値 脇村義太郎著
~ペルシャ絨毯の美~
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岩波新書 B46 
1967年初版とあるので、40年も前の書であるが現在読んでもまったく古さを感じない内容である。石油関係の貿易に精通していた脇村義太郎氏は、世界的な視野を持つ経済学者であったであろう事が、この本を通して伝わってくる。ペルシャ絨毯について書かれた『ペルシャ絨毯の美』―アルメニア商人・マンチェスター商人・ロンドン商人―という20ページほどの文章の中には当時のイランの中でもコーカサス・ロシアとトルコに近いタブリッツのバザールを中心とした絨毯のロジスティクスをアルメニア・マンチェスター・ロンドン商人達の活躍を縦軸に絨毯の文様染料、素材などがいかに当時の絨毯生産との関わりを持っていたのかを横軸に、解り易く書かれている。
例えば『19世紀の現代絨毯工業の誕生にあたっては、外国染料とくにドイツ染料の浸入が多きな要素となっていた。積極的なドイツ商人達はこの機会を捕らえて盛んな売りこみを行った。
不幸にして最初のドイツ染料は品質がすぐれていなかった。不評を買ったり,失敗したケースがあった。(中略)ケルマンでも最初「えんじ虫」の赤の変りにドイツ染料を使用したが失敗し、それ以後ケルマンでは動植物染料を主体として、今日のケルマン絨毯の優秀さをささえる原因となっている。』
またデザインにおいてもケルマンにはすぐれた2人のデザイナー「モーヤン・カーン」とアーネット・カーンを生み出し彼らの子供や孫ハッサン、カッシェンなど60年に亘ってすぐれたデザインを生み出してきたことがケルマン絨毯の欧米での人気の高い事を上げている。
現代の日本市場でコムシルクに次いで輸入量の大きいナインについても『人口6000ばかり小さな古い町である。ペルシャ人の伝統的な毛織服を作っていたが、第一次大戦後ヨーロッパ風の衣服が普及し始めた時この地域の産業は行き詰まってしまった。ペルシャ人は事業に失敗する時、絨毯を思う。
(中略)そこでナインの人々は高級服地用糸を取り扱う事に慣れていたので,熟練工は1平方インチに22X22という細かいパイルの絨毯を織る事に成功したのである。第2時大戦中はテヘランの成金達が多いにこれを買った。この様な具体的な絨毯産業の展開例は他にもあり、絨毯だけでなく、織物、製陶などの伝技術の誉れ高いカシャーンにおいて、マンチェスター産の、柔らかい羊毛を使用した新しいタイプの絨毯製作プロジェクトの紹介など、この当時の世界経済とリンクしたダイナミックなペルシャ絨毯産業の成功と失敗の例を挙げている。
テキストの終盤では、石油などの産業で財をなした、美術品収集家がどのようにして、現在の最高峰の絨
(アルデビル絨毯など)を入手したのか具体的に価格なども含めて紹介されれている。
この本を初めて見たときにこのあたりの欧米、特に当時の英国の美術品コレクター人間模様や裏の駆け引きなど、大変に興味深いかった事を記憶している。
絨毯好きの人にももちろんだが、ビジネスとして絨毯を扱う人なら、現在の欧米の美術館に鎮座しているかの有名な絨毯達が,当時いかほどの価格で取引されたのかを知るはかなり面白いはずである。
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by caffetribe | 2010-09-27 21:23 | おすすめの本