パジリク絨毯の謎-1
▲この現存する世界最古の完全に近い形の絨毯が、絨毯の起源(だれにより織られたのか?)論争となっています。ミステリーのように様々な憶測をよび、かつ絨毯起源のプライドからかトルコ・イラン・中央アジア・モンゴル系騎馬民族はたまたユダヤなどの人々の手によるものだ、という説が飛び交っています。
1949年南シベリアのアルタイ山中のパジリク渓谷でロシア人の考古学者ルデンコによって発掘された2mx1.89mの絨毯は、氷のなかにサンドイッチのように入っていたため、パイルの状態など保存がとてもよく、それまでの絨毯研究に衝撃を与えた歴史的発見となりました。
スキタイ族=サカ族の部族長のお墓から出土したこの絨毯は、その後の調査でなんと2500年前のものということがわかったのです。
金製品などの金目のものの多くは略奪に会いほとんど残っていないようですが、何らかの原因で水が墓内に流れ込みそれが凍結して奇跡的に絨毯やフエルト、絹織物などが取り残されました。
この絨毯の文様の面白さは、周りを取り囲む28頭の馬に乗った人のモチーフです。(実際に残って見えるのは24頭)様々なモチーフのフエルト製と見える鞍に乗っています。
日本の埴輪などと同様に族長の死後にも、快適な生活を願い埋められた物なのでしょうか。また更なる興味はその内側にある角の立派なトナカイと中央部分の繰り返しの花弁のようなモチーフです。立派な角のあるトナカイのモチーフはヒッタイトからサルマタイまで、多くの遺跡のレリーフや金属性の呪具のようなものとして、登場します。シベリアのシャーマンの被る帽子にもこの角は見られ、この世とあの世を繋ぐ象徴であったかもしれません。
▲1.文様説
発見者であるルデンコをはじめ、発掘当初は2500年前と同時代のアケオメネス朝ペルシアにみられるモチーフに類似している事から当時のペルシア人の関わりが最も有力な起源説でした。馬に乗る人々はペルセポリス遺跡のアパダナ(謁見の間)レリーフのダリウシュ大王への貢物を届ける行列に似ています。
takhutye-jamusid bas-lelif phot by (tribal rugs j.opie)
部族の行進のような絨毯のメインボーダー(サドルカバーの違いに注目)
この類似などから発掘当初はペルシア人によって織られたのではないかという説が有力でした・・・。