部族も好むボテ文様。(boteh-3)
前回の「capet magic」で分類されていたように、絨毯には部族的なコミュニティで織られたものと工房でデザイナーと織り手という分業的職人体制で織られるものがある。
一般的には都市工房的、アラベスクな華麗なデザインと部族的、幾何学なシンプルで力強いデザインとに区別できるのだが、このボテ文様は両者に共通して表現され、その両方ともがバランス良く見事に美しい。
最初は部族的絨毯の中に見られるボテ文様を紹介してみる。
アフシャール族 ホースカバー(馬の背あて) スマック織り
カシミールのショウルなどと比べると、幾何学的でぼてっとしていて少し野暮ったい感じもするがよく見ると一つ一つがまぎれもなくボテ文様になっている。一番上の一列の小ぶりなものが特にペーズリーらしさを出している。
■アフシャール族はイラン南部のトルコ語系の遊牧民であるが、メリハリのはっきりした力強い部族らしい絨毯やスマック、ソフレ(ナン用)を織る事で知られている。織り技術も大変にしっかりしたもので、彼ら遊牧地に近いシルジャン産のスマック織りの敷物は現在イランの輸出用マーケットでも評価が高く,絨毯と共に世界中への輸出品として年々価値が高まっている。
もちろん販売用でない遊牧生活のためのオリジナルの、ラグやバックの表皮などは、もともと数が少ない事から貴重なコレクターズアイテムになっている。
これは以前に紹介したアラブ系で5つの部族の連合体として知られるハムサのラグ(パイル)である。
南イランを代表する遊牧民のカシュガイ族にも同じような大きなお母さんボテの中に、小さな赤ちゃんボテが包み込まれたような、重なるボテデザインの絨毯が見られるが、この2重のボテ文様が遊牧民の好みのようだ。これも19世紀のカシミヤショウルに表現されている文様がベースになっているようだ。
カシミールとイラン南部は繋がりが無いようだが、イラン南部のケルマン地方にはボテ文様だらけのテルメと呼ばれる繊細な毛織物が存在する。ボテ文様で繋がる布があることで、この地域にボテ文様が多くつたわったのだろうか?
一説によるとイラン南部は赤の染料となる茜の生産地で、人気の高かった赤いショウルを織るための染料がケルマン地方からもたらされ、見返りにボテ文様のショウルが伝わったとも言われている。比べると、文様の配置、一つ一つのボテ文様の大きさなどが部族的大らかさというか、いい加減さが洗練の極みと見えるカシミールショウルやなどとは対称的である。
イラン南部 ハムサ連合 絨毯(パイル)
この他にもセネという古い名称で親しまれている、イラン北部のクルド族の多い町サナンダジの見事な綴れ織で織られたキリムにもこのボテ文様は登場する。
セネ(クルディスタン) 綴れ織り(キリム)
向き合ったツインのボテ文様が愛らしく、ボーダーの明るい格子のようなモチーフが中央を引き立たせている。やはりペルシアの色彩感覚はとてつもなく洗練されている。
ある人が、シュタイナー曰く「ぺルシア文明が、人類に革命的な色彩革命をもたらした」といっていたが、このような表現を見ているとそれが、大変納得できる。
ベシール トルクメンエルサリ系 絨毯(パイル)
また、これは大変珍しいトルクメン系部族のボテ文様である。
もちろん都会的感覚をもつベシール系で、中央アジアのブハラ周辺のものではないかと思われるが、トルクメンのギュル文様にも影響を及ぼすほどの、ボテ文様はある意味、呪力的パワーを持つ文様ではないかと想像してしまった。
確か中沢新一氏が最新の数学者の研究から出てきたフラクタクル曲線とこの曲線との比較をしていたような記憶が・・・。